釣瓶 4

文字数 1,105文字

 山道を登り、雪を被った灌木の間の細道に逸れ、しばし歩いたところに茅葺屋根が見えた。
 こんな人里離れたところで茅葺とは。
 まぁ、まだ往来のある道筋なので宿の方とも縁があるのかもしれぬ。違和感を覚えつつも、案内されるままに屋内に入った。
 調度の少ない簡素な設えは女子の質素な暮らしを思わせた。

()く、火を立てる故、待ちあれ」

 女子は抱えてきた木桶から三和土の隅にある甕に水をあける。心浮きたつ様で甲斐甲斐しく動き回る女子に勧められるまま、俺らは囲炉裏の前に座った。最初は警戒していた鸞も、終いには好奇心満々で女子の動きを目で追っていた。
 囲炉裏に火が起こったのを見計らって、女子は頬かむりを外した。
 黒々としたつややかな髪と、秀でた白い額が現れた。
「私は雀鷂(つみ)と申す。以前は城下におりましたが、仔細ありて、この人里離れた山奥に居を構えておりまする」
「さようであるのか。俺は白雀という」
「吾は鸞だ!」
「其方らは、……同胞(はらから)か?」
「ああ、そうだ」
 雀鷂は、鸞をチラリと見てから、俺にひたと視線を置いた。
「この雪深い時に道行とは、なかなか骨が折れますな」
 雀鷂の視線に俺は曖昧な笑みを返すと、腹の底でその魂胆について思案した。
 ……とんと見当がつかぬ。
「温かい粥でも作りましょう」
 雀鷂は立ち上がると、甕の置いてある三和土に向かった。

「あ、……雀鷂殿、御不浄をお借りできようか」
 俺が声を掛けると、雀鷂は朗らかに微笑んで、でしたらこちらに、と案内を始めた。
 鸞は? と振り向いたら、無表情でヒラヒラと手を振っている。
 激励だと解釈して、俺は雀鷂の後に続いた。
「古い普請なので厠は裏手の離れにございます。ご不便をおかけいたします」
 雀鷂はそう言って、屋の外をぐるりと回って裏手を案内した。
 その時、目の端に小さな東屋のようなものが映って視線を向けた。石を積み上げた井筒と釣瓶……。
「あれ……井戸が………」
「どうされました?」
 案内をしていた雀鷂が振り返る。
「いや、敷地に井戸があるようなのに、沢まで汲みに行かれていたようだったので……」
「ああ、それは」
 と雀鷂は眉尻を下げた。
「冬になると水源が凍るのか、水が出なくなってしまうのですよ」
「それはお気の毒に……」

 なんだろう。
 先程から感じるこの違和感は。
 媼のような声音で古い言葉を使う雀鷂。
 人里離れたこの場所で、維持に手間のかかる茅葺屋根の家に、それも独りで住まっているという。
 仔細があるとはいえ、まだ三十路とみえる女子が、かような場所に隠遁している。
 それに、冬になると凍り付く井戸とは。
 山の上に住まうが故、利便のために掘ったにしては……随分と浅い井戸のようだ。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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