磯の鮑 12

文字数 790文字

「ほれほれ! 姐さん! ()く此れへ!」
 他の酔客に呼ばれて、俺は銚子を持って酒を注ぎに行った。
「大丞殿のところにも、いい娘がおるものだな」
 身を寄せて盃に銚子を傾けたところで、胸元に手が伸びて来たので咄嗟に捻り上げた。
「あらあら、

は許しませんよ?」
 ドスを利かせてニヤリとねめつけてやる。
 残念ソレは偽物だ!
 酔客はビビった顔をして盃を取り落とした。
 様子を見ていた水恋が脇から新しい盃を持って、俺の銚子から酒を注ぐと酔客に押し付ける。
「舐めてもらっては困りますなぁ」
 俺には片目をつぶって、ニヤリと微笑んだ。

(じゅん)水恋(すいれん)、呼びがかかったぞ」
 (りゅう)が声を掛けた。舞台で一指し舞えと言うのだ。
「今宵は『納曽利(なそり)』か。かつては俺も新嘗祭で『落蹲(らくそん)』を舞うておったのよ」
 背後で蓮角が雎鳩に話しかけているようだった。
 あ………。
 俺の中でバラバラになっていた欠片が次第に組み上がって一つに繋がった。都が、鷹鸇(ようせん)が言っていたことが一つの筋道となって物語となった。見えた光景に、俺はゴクリと固唾を飲んだ。
「鶉ちゃん?」
 水恋の声にふと我に返る。
「ああ、


 俺は慌てて衣の裾を引くと、水恋の後に続いた。舞台の奥で、翡翠(ひすい)が龍笛を吹いた。続いて魚虎(ぎょこ)の三つ鼓と鶹の篳篥を重ねる。
「舞台袖に衣装を準備したからそれに着替えるわよ」
 水恋が(ばち)の代わりの扇子を俺に差し出して、ニッコリ笑った。
 縁台からヤンヤの声がかかる。なかなかどうして、兵部大丞の精鋭は人気があると見える。上衣を脱いで、毛縁(けべり)のついた裲襠(りょうとう)という貫頭衣を被り、銀の飾りのついた帯を絞める。これが「鎧の代わり」となる舞装束である。
 手先まで隠れた大袖は如何にしようと思うたが、水恋が、このままが可愛かろうとニンマリした。管弦の音取が終わり、いよいよ『納曽利』の序が奏される。 
 俺はとりあえず、先程浮かんだ光景を頭の中から追い出した。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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