業鏡 7

文字数 935文字

 翌日、俺は(きょう)に指示された時間に診療室奥の施術室に向かった。念のため、左手の包帯をほどいておく。

 ふん。何度見ても派手なクマ取りだ。

 手先まで袖でしっかり覆ってから、首から吊る布の中に修める。
 施術室の出入り口の前に行くと、波武(はむ)が寝そべっていた。

「お前、今日は(にお)の番をせずともよいのか?」

 思わず声を掛けると、上目に俺を見てカフゥと大欠伸をして目を閉じた。
 鳰の方は良いと見える。
 ということは、やはり、注視すべきはこちらか……。

 施術室に入ると、梟が特殊な眼鏡を額に押しあげて何やら機具を並べていた。

白雀(はくじゃく)殿は、儂がいう順に機具を手渡ししてくれぬか。施術中、儂は手元から目を離せぬからな」
「承知した」
「では、(しぎ)殿。これより眠りに誘う甘い風を流しまする。気持ちを楽にして胸いっぱいに吸い込んでみてくだされ。貴殿が眠っておられる間に全ては終わっております」
「わかりました」

 品の良いご婦人は高坏(たかつき)のような白い(とこ)に目を閉じて横たわった。梟は何やら複雑な玻璃(はり)やら管やら点滅する光やらを調整している。こちらのカラクリをどうにかしろと言われたら、操作を覚えるだけでも一苦労しそうだ。
 鴫は、透明なお椀のようなモノを被せられて少しずつ呼吸が深くなってきた。梟が言っていた通り、眠ってしまったようだ。

 やれ、梟が施術を始めようとしたその時、鴫がブツブツと何事かつぶやき始めた。

 ――ああ、こわや……こわやのう……

 俺の左腕が、また、ズキンと痛んだ。
 慌てて首から吊っていた布から腕を外す。

 鴫の目がカッと開き、白濁した目がギョロリと剥いたかと思うと、梟を、俺を交互に見る。やがて、俺の左腕を、俺の顔を、ひたと見据えて低く恨みがましい声を上げた。

 ――恐ろし気な気配は、うぬか? それで、我をいかようにする気ぞ

 俺の左掌の丹い渦は、まだ小さかったが、腕の傷跡は早くも脈打つようにぬらぬらと流れていた。前回と違い、まだ熱くはない。

 梟は、どうするか? という顔を俺に向ける。
 どうするにしても、まだ、相手がよくわからぬ。
 
 問うて解る相手か?
 とりあえず、語りかけられたようなので、返してみる。

「其の方……遠仁(おに)…なのか?」

 ――遠仁ならば、いかんせん

 鴫の口を借りて、ソイツは語り始めた。 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み