夏椿の森 7

文字数 1,018文字

 波武(はむ)が鳰の元へ発った翌日から、阿比(あび)の『(うた)い』の教授が始まった。
 曰く、『謳い』の基本は、褒めることだ。
 この世にある生きとし生けるものを、自らを生かしたモノたちを褒めたたえることだ。そうして、全うした命をお返しする。
 魂は天へ。
 肉体は地へ。
 魂が召されたあとの肉は他の生き物の命を繋げる大切なものだ。だから、屍を食むモノを昔から畏敬の念をもって扱った。大きくは獣から、細かくは虫の類にまで。
 特に魂が召されてすぐ屍を食む者を高位の神とした。
 それが『尸忌(しき)』なのだ、と阿比は語った。

「貴殿は、楽器の嗜みはあるか?」
「そんなものあると思うてか? 家は代々武人だ。それも、生活はカツカツの……」
「歌はどうだ?」
「だから、俺は代々武人の……」
「地声は良さげなので、上手いことすればモノになるかもしれんぞ」
 俺は眉間に皺を寄せて阿比を見た。
 コヤツは人の言うことをよく聞いておらぬな……。
 そんな俺をまるっと無視して阿比の教授は続く。

「私も一から学んだのだから、いざとなればどうとでもなるさ。まずは一節『謳い』を披露しよう」
 阿比はそう言うと琵琶を抱えて深呼吸一つし、朗々と謳いだした。
 独特の節回しは風に乗り、木々の枝を渡り、森に吸い込まれていく。
 嫋々(じょうじょう)と奏でる琵琶の音が、段々と恍惚へと(いざな)っていく。
 
 まともに『謳い』を聴くのは初めてだった。
 人は、この(こえ)に送られるのだな。
 
 忘我の境地で謳いに身を委ねていると、ふと隣に座る者に気が付いた。
 人が、何故?
 と、チラと目を向けた俺は、余りの場違いな存在に二度見した。

 岩の上にちょこんと座り、頬杖を付いてニコニコして阿比を見つめていたのは、贅沢な絹の衣を纏い玉飾りの付いた冠をいただいた、まだ童子と言っていいくらいの子どもだった。
 阿比は、子どもの存在を確認しても知らぬ顔でそのまま一節謳いきった。

(らん)か?」
 阿比が問うと、
「さすが阿比! ご名答であるよ!」
 童子は手を叩いて応じた。
 声の調子からして()の子のようである。
「『謳い』の習いか? 召し合わされたわけではなさそうな?」
「ああ、そうだ。習いだ。まだ出だししか謳っておらぬのに、気の早いことだな」
 阿比が呆れ半分で童子を見据えた。
 童子は何が可笑しいのかコロコロと笑う。
「主が徒弟(とてい)であるのか? 随分と(とう)が立っておるなぁ?」
 童子はつぶらな瞳をキョロリと巡らせ首を傾げて俺をマジマジと見つめた。
 
 なんだこいつ。随分と不躾なヤツだ。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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