磯の鮑 14

文字数 1,082文字

 頭から冷たい水を掛けられて気が付いた。まだ、頭がずきずきする。素早く目を動かして状況を確認した。
 遠くに宴会の喧騒が聞こえる。板張りの薄暗い部屋。部屋の隅に一本灯明が立てて有り、幽かに中を照らしている。俺は女物の下着である薄衣と袴姿に剥かれ、膝をついた姿勢で両手を縛り上げて吊るされていた。「精気を抜かれる」という雎鳩の言葉を思い出し、ゾッとした。

「気が付いたかえ?」
 背後から声がした。衣擦れの音が、ぐるりと俺のまわりを巡って前に来た。見覚えのある高価そうな衣の主が、俺の顔の前に屈みこんだ。
「それで、誤魔化したつもりであったか? やはり、乳は偽物であったなぁ」
 烏衣が、ニンマリと笑って俺の顎をクイと持ち上げた。俺の胸元を見ていたのは、偽物と訝ってのことだったのか。左腕が炙られるように熱い。が、この姿勢では烏衣に掌をかざすことが出来ぬ。
「蓮角様から、其方を好きにしてよいと許可をいただいた。のう? 妾のモノにならぬか? 雎鳩よりもうんと可愛がってやるぞ?」
 可愛がる? え? 何を言っているんだ、コヤツ……。
 烏衣の赤い唇が近づいてきて、俺は力いっぱい顔を逸らせた。
 手首にギチッと綱が食い込んだ。鳰が付けてくれた玉の緒、まさか外されておらぬだろうな。
「まぁ……、嫌がる顔も色気があっていいのう」
 烏衣は含み笑いを漏らすと、俺の袴の帯に手を掛けた。シュッと絹ずれの音を立てて一気に結び目を解く。薄衣の衿を掴んで、胸元を(はだ)けた。
「うふふ。やはり、締まった筋肉は良いの」
 開いた襟元から腕を滑り込ませ、俺の肌の上を烏衣の指が滑った。得も言われぬ嫌悪がゾワリと身体に広がる。無理矢理片膝を立てて、身をよじったが烏衣を無駄に喜ばすだけだった。
「厭われるのもまた、そそられるなぁ。妾を見れば、其方の気も変わるか?」
 烏衣はそう言うと、自らも衣を脱いで下着の薄衣一枚となった。夏衣(なつごろも)なので紗の一重はまさに透けている。俺は衣を透かした乳や下の陰りを見ないように、顔をそむけた。
 烏衣は、それを見てカラカラと笑うと、俺の袴の帯に手を掛けて少しずつ緩め始めた。
 これは……まずい。えと、……何だっけ、祝詞……鸞の………鸞を呼び出す……。あー……。
「掛けまくも(かしこ)久生(くう) (らん) よ! いざ召し(たま)えよ!」

 一呼吸の間ののち、俺の後ろに誰かが立った。
「おう。(まか)りこしたぞ、白雀よ! ……して、そこな年増の行かず後家! 据えた臭いが厭わしくてならぬわ! その粗末なものを仕舞わぬか! 見苦しい!」
 現れたのは、玉冠(たまかんむり)を戴いて絹の豪奢な衣装を纏った、眉目秀麗な男の子の姿をした鸞であった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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