紅花染め 1

文字数 1,168文字

 鸞と同じように遠仁の臭いが分かるようになったのは何時からだろうか? 覚えは無いが、洞穴の中で延々遠仁の始末をしている時から、のような気がする。それに合わせるように、それまで左腕でしか反応していなかった遠仁の気配も、モノによっては全身で感じる。
 あの猫の時のように……。
 一度は損なった肉の部分が、より近いものを感じて反応するのなら、俺の肉は相当ガタが来ているということなのかもしれない。さっき引っ被ったものが、更に悪さをしておらねば良いのだがな。

 鵠の屋敷で借りた馬を駆って、梟と共に急ぎ施療院へと戻る。波武がこちらと合流出来なかったのは、おそらくは鳰の元に集まった遠仁を蹴散らせなかったからだ。鳰の真偽を確かめるのに、遠仁を利用したとは、さすが鵠である。いや、感心している場合ではない。

 施療院の向かいの屋代の屋根が見えた。青白い光が闇夜に舞っている。
「クソ! 先日粗方喰うたと思うたのに……」
 辺り一帯に漂う肥溜めのような厭わしい臭いに辟易しながら、周囲に目を配る。道の隅を駆けていくネズミども。……これらも遠仁だ。先程撤退した鬼車をこちらに呼んでおらねば良いが。こうなれば鵠は確保しておくべきであったか……。

 ええい! 今更悔いても遅い!

 門を曲がり、阿比の琵琶の音が耳に届いた。施療院の門からフワフワと青白い遠仁が漂っている。
 鳰よ。待っておれ!
 全身がメラリと熱を帯びた。背面より俺に捕まっていた梟がびくりと反応する。
「白雀殿?」
「要らぬ心配だ」
「………」
 門口に溜まるネズミどもを馬の蹄で叩き潰してから跳び下りた。全身が丹い光を纏っているのが分かる。先程の酸のせいで一皮剥けたのかもしれず。
「目障りよ。のけ!」
 目の前を漂う遠仁を素手で払った。
 丹い光に触れただけで、遠仁がジワリと溶けた。

 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 嫋 

「阿比殿! 波武!」
 屋の内に入って、皆を探す。行く手を塞ぐ遠仁を喰らい、かき分け進む。待合の大部屋には居なかった。琵琶の音を頼りに奥へ進むと、診察部屋の前に鸞が居た。
「来たか! 雑魚はともかく、波武に加勢せよ!」
 指で部屋の内を指示す。急ぎ部屋に駆け込むと、波武と、その体格より二回りは大きい獣が睨み合っていた。その後ろに阿比が控え、それに寄り添うように鳰がしがみついている。
「鳰!」
「は……くりゃくのの!」
 鳰の怯えた顔がこちらに向いた。
 俺の侵入に気付いた獣がこちらに向いて低く唸った。
 これは……トラか?
 周囲に漂う遠仁に目を配った。阿比の琵琶によって退けられているのかもしれないが、ただ、漂って居るだけのようにも見える。
 そうか!
 俺は意図するところを察した。
 コヤツらは、鳰を喰いに来たのではない。
 かどわかしに来たのだ。……多分、鵠の命において。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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