花方 5

文字数 1,018文字

「おお! 我が神よ! 約束した安寧を保てず、そのお怒りごもっとも! 贄は、贄はあと一歩のところで全き姿で奉ずることができまする!」
 鵠が必死に言い訳をしているが、黒瑪瑙は聞く耳を持たぬようだ。
 そうか、約束を違えた怒り、贄を喰えずに未だ空腹である怒りが、鵠に向いているのだ。

「あ……」

 首の内を探っていた俺の手に覚えのある感触がふれた。
 此れだ! 
 握り込んで引き出す。

 鳰の、心臓。

 小さくピクピクと脈動しているのを手の内に感じる。
 なんと……可愛らしいことよ。
 やっとこれで……。
 鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなった。

 酸でボロボロになった衣の懐に入れては取りこぼす。
 俺は考えた末、口に含んだ。纏っていた酸の刺激で一瞬口内が焼けて(むせ)る。

 取りあえずこれは鸞に託さなければ。
 鸞は、何処だ?

 視線を巡らせた隙に水晶の頭が再び振ってきて、俺はフッ飛ばされて床に叩きつけられた。衝撃と痛みに動けずにいたところを波武が帯を咥えて搔っ(さら)う。すんでのところを鉤爪がかすった。

 おっと、……ヤバいところであった。

 波武は、鸞のすぐそばに俺をポイと下ろし、再び水晶の頭に挑んでいく。
 俺は鳰の心臓を吐き出すと、鸞の手に掴ませた。

「大当たりであったよ。鳰の心臓だ」
 口の中が鉄の味だ。舌が焼けて痛い。
「吾の勘は確かであったろう」
 鸞の含み笑いの気配。
「後は鬼車に引導を渡すだけよ」
 燭台を振り回して必死に黒瑪瑙を諭している鵠に目をやる。
 なかなか良き間合いで来たものよ。
 水晶の頭が断末魔の叫び声を上げた。
 波武、上手くしたな。

 残すところは黒瑪瑙のみ。
 鸞が右手を閃かせて黒瑪瑙の頭を弾いた。素早くこちらに頭を向けた黒瑪瑙が、足を踏み鳴らして大音声で吠える。
 鵠はその時になってようやっと、鬼車の頭が残り一つであることに気付いた。

「おおおお! なんと! なんということを!」
 燭台を翳してわなわなと震えている。
「そうか! 貴様ら! 我の企みを阻むために神を屠ることを思いついたのか! さすれば、夜光杯なくとも

を全うできると……」
 燭台の明かりに照らされた顔が醜悪に歪んだ……と思うと、突然、鵠は笑い出した。
「ふはははははは!!!!」
 左の腕を振り上げる。
 俺はハッとして地を蹴った。鵠の次の行動が予測できたからだ。

「貴様らの思い通りにはさせぬぞ!」

 鵠が夜光杯を放り投げようとするのと、黒瑪瑙の頭が鵠の身体を薙ぎ払うのとがほぼ一緒であった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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