禁色の糸 7

文字数 1,136文字

 夕闇がせまり、夜の帳が訪れようとしていた。神樹の硬い幹は半分まで鋸が通ったかと言うところだ。交替で鋸を引き、周囲に散った

をかき集め、さっさと火にくべる。焚火の明るみに魅かれて様々の虫が飛び交うようになってきた。
 当然、三月虫(みつきむし)がやってくる。天鵞絨(てんがじゅう)のごとき柔らかな翅を閃かせ白い天幕に止まる。
「ほわぁ! やはり大きいのう! 見事だ」
 おが屑を火にくべに来た鸞が目を見開いて三月虫を見上げた。
「ほれ、鸞の顔より大きいぞ」
 一頭の三月虫を手に取って、鸞の手に止まらせる。
「ほほう! 中々可愛らしいなぁ! 身体はモフモフだ!」
 鸞はそれを肩に移して再び

を取りに行った。今日のところは、そろそろ切り上げるか……。三月虫が飛び交う中、俺も木のそばに戻る。

「慈鳥殿、切り上げ時だ。虫の活動時間になってきた」
「いや、しかし……まだ手元が見える時分だ」
 進捗を見ていた慈鳥が渋い顔をする。
「大丈夫だ。此処までしておるのだから、明朝元通りということはない」
 まだ、惜しそうにしておる慈鳥を置いて、鋸を引いていた村人に終いの合図をした。
「いや、まだもう少しいけそうだ」
「後、数時間あれば切り倒せる」
 2人とも聞きやしない。交替に控えていた他の男衆も頷いて、まあまあとこちらを宥めに入る。
 俺は溜息を付いた。
 苦労が元の黙阿弥になったのを経験している者は、またがっかりする結果になることを恐れているようだ。
「おい、待て! コイツには、此処まで深手を負わせているのだ。きっと、虎視眈々と己の反撃の機会を狙っている。闇が来たら、どうなっても知らんぞ!」
「昨年、変死が出たのはもっと暑くなってからだ。まだ春であるよ」
 否、そういう問題では……。
「!」
 顔の前を三月虫が横切り、俺はハッと身をひるがえした。何かが上から降ってきた。いや、ぶら下がってきたと言った方が正解か。俺は咄嗟に身をひるがえしたので直撃は避けられたが、鋸を持っていた村の男が2人ともそれに捕まって吊り上げられた。悲鳴を上げて手足をジタバタさせている抵抗も虚しく、みるみると葉陰に消える。
 俺の耳が僅かな羽音を捕えた。
 慈鳥が、上に注視したまま狼狽える。
「なんだ? どうしたのだ? 一体何が居るんだ?」
「慈鳥殿! 松明を!」
 ぶぅうんという羽音を伴って、真っ黒い影が上から降ってきた。
 俺は松明を振ってソレを焼き払う。

 だから、言わんこっちゃない!
 ここからは、虫の……妖の時間だ!

 俺の松明に追われた黒い影は腰を抜かしてへたり込んでいた男に襲い掛かった。男の姿が影に集られて真っ黒になる。
「ヤバい! 鸞、上だけ弾けるか?」
「やったこと無いわ! そんなこと!」
 鸞が頬をふくらませて憤慨した。
 やはりそんな便利にはいかぬか。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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