磯の鮑 2

文字数 1,025文字

「ぷはぁ……」 
 俺は、荷馬車の荷台に掛かった茣蓙(ござ)の間から顔を出した。
 汗が流れる。数日のうちに急に季節が変わった。日中は容赦のない日射しが照り付け、肌がひり付くくらいだ。
 城下に入る前に、市への野菜を積んだ荷台に乗せてもらい、密かに木戸をくぐった。茣蓙の間から外の様子を伺い見たかぎりでは木戸の警邏はいつも通りと見えたが、油断は出来ぬ。ようやくと、市の立つ広場近くまで馬車が進み、俺が顔を出せたというわけだ。馬車の主に多めの駄賃を握らせると、俺は笠を目深に被って市の人ごみに紛れた。

「おや! お兄さん、桃はいかがかえ?」
 ちょっと歩くと売り子の姐さんに声をかけられた。
「ほう。旨そうだな。4,5個良いのを見繕ってくれるか?」
「あいよ」
 姐さんは、藁苞(わらづと)に柔らかい桃を詰めると、俺が差し出した代金と交換した。両手に手甲をはめているので、俺の左手の傷は隠れている。一方で笠の下から見える頬から口元に掛けて派手に落書きをしておいた。人は目につくモノしか記憶に残らない。
「最近景気が良いなぁ」
「まぁ、御蔭さんで。近頃、若様が兵部大丞の姫様に入れ込んでらっしゃるおかげで派手な宴が多くてねぇ。その内、華燭の典でもありゃぁいいのにねってんで

なのさぁ」
「通りで」
 ふっと笑みを作って頷いたが、内心動転した。いつの間に何がどうなっていたのやら。このまま雎鳩の元に行って、大丈夫なのか? まさか、蓮角が待ち伏せしてバックリ喰われるとか……無いであろうな。

 桃を抱えて臣仕官の屋敷が立ち並ぶ界隈へと足を運ぶ。直接屋敷の裏口に入る御用聞きは居まいかと兵部大丞の屋敷裏で様子をうかがっていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
「やぁ! そこにおるのは(ちん)であろう。やっと帰ったか」
 あれ? 聞き覚えのあるような……と振り向くと、大丞の屋敷の厨番(くりやばん)であった。
「ご無沙汰しております」
 と頭を下げる。
「市場で聞き及びましたが、暇を戴いているうちに何やらめでたい雲行きとか……」
「いやいや……」
 厨番は眉根を寄せると、俺の肩を抱きながら勝手口から屋敷に入っていった。
「どうにもアレは若様の一方的なゴリ押しよ。うちの姫様はツンを通しておられるが、あちらに何か企みがあるとしか思えぬ。はよう姫様の元に付いた方がよい。主くらい腕の立つ侍従が付かねば姫様が可哀そうだ」
「はあ……」
 俺は気の抜けた相槌を打った。
 一体どういうわけだ? これは、雎鳩に直接聞いてみぬとどうにもならぬような。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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