水上の蛍 10

文字数 784文字

 縁側に座し、半月を見上げる。
 夜風は随分と冷え込む季節になったが、いつまでも火照る身体と心には丁度良いくらいだ。
 ほうッと溜息をついた。

 座敷内では、父の式部大輔(しきぶおおすけ)が客人を招いて宴に興じている。
 酒が入って、随分と声が大きくなった(おみ)たちが謡いや舞を楽しんでいるのを、遠くの出来事のように感じた。
 
 涼やかな目元の方であった。
 乱れた(たぶさ)も色気があって……。
 締まった逞しい腕。
 ほどよく筋肉の乗った胸。
 見事に割れて筋の浮いた腹。
 あのように男の身体をマジと見たのは初めてだ。
 我が身はあの身体に助け上げられたのだ。
 ああ、気を失っていたのが口惜しい。
 何故、彼は兵部の侍従なのだ。
 生白く、緩んだ躰の式部の男とは大違いだ。
 ……ああ、身が疼く。

「式部の姫君。どうされたか」
 気が付くと客人の一人が隣に座していた。
「ああ、済みませぬ。折角、父が妾を慰めるために宴を開いてくださったのに、興が乗らずにかようなところで……」
「……仕方がなかろう。大変な目に会われたのだから、直ぐに忘れようはずがない」
「お優しい言葉、痛み入りまする」
 一時、夜風が渡った。
「時に、姫君を助けた者とは?」
「ああ……」
 彼の男。
兵部大丞(ひょうぶたいじょう)雎鳩(しょきゅう)様の侍従にございます。遠仁により水に引き込まれたところを助け上げてもらいました」
「随分と豪胆な男もいたものだな。遠仁相手となると、兵部の強者(つわもの)ですら二の足を踏むところだ。私も会うてみたいものだ。何という者なのだ」
「雎鳩様は、『(ちん)』と申しておりました。元、兵部の隊にいた者やもしれませぬ。戦傷(いくさきず)なのでありましょうか。左腕に大層な傷跡がございました」
「ほう……。のちのち雎鳩殿に申し入れてみようぞ」
 客人はそう言うと席を立った。
「あの……」
「ん?」
「お気遣いありがとうございます。蓮角様」
「いや、礼には及ばぬよ、姫君」
 客人は華やかに笑うと宴へ戻っていった。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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