夏椿の森 2

文字数 668文字

「いや、……これは肉を見て笑っていたわけでは無い」
「どう言い訳しようとそのようにしか見えぬわ」
 ひどい誤解だ。
 俺は、沢岸の岩の上に朴の葉を敷いて鳰の拳を置いた。

 にしても、随分とボロボロにされたものだ。衣を脱いでみたら、背のあたりなど見事にぼろきれ状態ではないか。また、これを着ろと言われたらどこが袖口かと迷って苦労する。

「あ……だだ」
 鞭を喰らったのは実は初めてではない。これが灼熱の痛みと熱で一晩は苦しむのは解っている。今夜は横になることも出来ない。

 俺の背の傷をペロリと舐めてから、波武(はむ)が言った。
(むご)いことをする奴だな。あんな奴、喰うのも願い下げだ。品位を下げる」

 こびりついた血を冷たい水で落としながら、俺は波武を見た。
「波武……お主、俺に話しかけるのは今日が最初ではないよな」
「ん? そうであったか?」
夢現(ゆめうつつ)に、『喰えん』とか何とか言われた覚えがあるが?」
 波武は、片眉を上げた。
「おお。聞かれておったか」
 ぺろりと俺の顔を舐める。
「お前を喰おうと待っておったのよ」
「俺を?」

 茫然と波武の顔を見返した。
 そういえば、コイツ、おかしなことだらけだ。
 阿比は相棒だと言っていた。
 鳰を(すく)って持ってきた。
 そこから更に十余年。
 ただの狼犬ならば既に老犬の域のはず。
 なのに、この力強さは老犬のそれではない。

「そ奴は、『尸忌(しき)』よ。誠の名を大波武(おおはむ)という」
 
 聞き覚えのある声に振り向いた。黒衣の男が立っていた。

阿比(あび)殿……」

「よう!」
 右手をあげて挨拶した阿比は、波武に近付き愛おしそうに両手で頭を抱えてワシワシと撫でまわした。  
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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