禁色の糸 8

文字数 777文字

 男は悲鳴をあげて転げまわるが貼り付いた黒い影は取れそうにない。
 慌てて松明を手にした慈鳥が滅多矢鱈と松明を振り回し叫び声をあげている。
 黒い影は羽音を立てて煙のように動き回る。
 松明の明かりに照らされると、時々、真赤な下羽が煌めく。下紅羽衣(したべにはごろも)は小指ほどのヨコバイだ。暗い色の上羽根のしたに鮮紅色の下羽を持つ。黒いゾウムシのような幼虫も翅を持つ成虫も、樹液を吸って生きる。もともと果樹につく害虫だが、神樹の血染めの樹液を吸って益々質の悪いモノへと変貌したようだ。

 その時、木の上からどさりと音を立てて何かが落ちてきた。
「わー! スカスカだのう!」
 寄って松明の明かりを差し向けてみた鸞が、感嘆とも何とも言えない声を上げた。先程吊り上げられた男どもが神樹に血を吸い取られて木乃伊(みいら)のような様になっている。
 鸞は躊躇わず遺体に手を突っ込むとオレンジ色の魂を千切り採った。
「神樹はどうでも、虫の親分はまだ上か」
 俺は上を見上げた。

 羽衣に集られた男はじきに動かなくなった。慈鳥は半狂乱になって松明を振り回し続ける。
 唯一人無事であった若い男が、俺の足元に這い寄ってくると、周囲を恐ろし気に見やった。
「……これは、いかなことか……」
 はて、この男、下紅羽衣が寄り付く様子が無いが、どういうことなのか?
「おい。お主、なんで喰われないんだ?」
「なんでって……我にも解りかねる」
 怯えて縮こまっていた男は困惑気味に俺を見上げた。近寄ってきた鸞がクンクンと男の服のにおいを嗅ぐ。
「えらくツンとしたにおいがするな! 何だ? 防虫剤か?」
 防虫剤? 
 実は神樹も防虫作用をもつ。それ故、特定の虫しかわかない。神樹以上のレベルの防虫剤とは何だ?
 俺も屈みこんで男の服のにおいを嗅いだ。
 いや、この臭いは……。
「お主……腋臭(わきが)か?」
 男は、ギョッとした顔をしてから、ゆっくり頷いた。
 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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