掌(たなごころ)の月 8

文字数 806文字

 施療院の戸口に立って、(にお)は待っていた。
 駆けつけた俺らは、少し離れた位置まで来たものの、どうしたモノやらと牽制しあっていた。

白雀(はくじゃく)殿)
 鳰は真っ先に俺を呼んだ。袖を、差し出す。
「お……俺、か?」
(はい。最初に触れる人は白雀殿と決めておりました)
「え? あ! ちと待て!」
 俺は菜園帰りの泥だらけの手を見て慌てた。
「あ、洗ってくる!」

 慌てて庭の隅の水場まで駆けていく。
 波武が手ぬぐいを咥えて後に付いてきた。
 冷たい水で入念に洗って、波武に礼を言って手ぬぐいを受け取る。
 訳もなく胸が高鳴り、緊張する。
 鳰が最初に触れる人……大丈夫か? 俺で。
 
 波武に腰をせっつかれて鳰の前に出た。
 そっと手を差し出すと、柔らかく温かい手が俺の手を包んだ。
(あれ? これは、……

のですね)
「い、……今、手を洗ってきたから……」
 成長したての鳰の掌は、白く柔らかく滑らかだった。
(わー。いつも私の仕事を助けてくださっていた手は、こんなにしっかりと硬い手だったのですねー)
 撫でまわされて微妙な気持ちになる。
(あの、……左腕、触ってよいですか)
「あ、ああ……」
 いつも労わってくれていたように、鳰の手が左腕の傷に触れる。
(こんなに、ボコボコと乱れていたのですね。私が作り物の手で触れて、痛くなかったのですか?)
「あ、いや……全然」

(白雀殿?)
 鳰が(おもて)を上げた。
(少し屈んでいただいてよいですか?)
「え?」
(白雀殿の、顔に触れとうございます)
 そこは、「よいですか?」じゃないのだな……。
 俺は少し身をかがめて鳰に顔を近付けた。
 吸い付くように滑らかな肌が頬に触れた。
 いつか、俺が鳰のビスクの頬を左手で撫でた時のように、鳰の温かい手が俺の頬を滑った。
「鳰………」
 目頭がジワリと熱くなった。
(白雀殿……)
「………ん」
(涙というのは、温かいのですね)
「…………ん」
(ありがとうございます。私は、とても嬉しゅうございます)  
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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