借り 2

文字数 750文字

「アレは、……いつ頃の話であったか?」
 波武は伯労に目配せした。伯労は波武の視線を受けて頷いた。
「さあ、正確には忘れたわ。故意ではなかったとはいえ、波武は、私を贄にした『夜光杯の儀』を反故にしてしまったのよね」
 
 もう、遥か昔の話なのだけどね、と伯労は遠い目をして語り始めた。
「私は、且つて兵部卿の娘として将来を約束された身分だったわけ。でも、父が政争に巻き込まれちゃってねー。佞臣(ねいしん)による姦計に落ちて家は廃絶。父は亡くなり私は囚われの身になってしまった。まぁ、いわゆる罪人扱いよ。国主が企てたその年の『夜光杯の儀』で贄に召し上げられることが決められていた……」
 そこで、波武がフンと鼻を鳴らした。
(われ)(われ)で、魂の喰える高位の尸忌になるべく、喰うモノを選んでいた時期でな、国主屋敷地下の鬼車(きしゃ)を突き止め、日々挑んでおった。ソヤツが国主一族と取引をして安寧を約束されていた守護神であるなど知ったことではなかったのよ」
「ふふふ。だから、鬼車は相当気が高ぶっていたのよね。私を贄に捧げる『夜光杯の儀』の途中で……、夜光杯を血で満たして贄を捧げる誓いの直後、祈念する事柄を申し上げる直前に、たまたま姿をみせた波武に驚いて祭壇を蹴り上げてしまったの」

 そこで、伯労も波武も黙り込んでしまった。
 俺も黙って次の言葉を待った。

 重い口を開いたのは、波武だった。
「それで、夜光杯が落ちて……割れたのだ」
 聞き届けられたのは、「贄を捧げる」という事柄だけ。
 鬼車は恐慌に陥って贄を召すどころではなくなり、伯労の肉は周囲を浮遊していた遠仁どもに一気に喰われた。かろうじて伯労の魂だけ波武が咥え込んだ。
「何か考えがあってそうしたわけでは無かったのだが、吾が咥え込んだ所為で、伯労は人の心を失わない特異な遠仁となったらしいのだ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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