紅花染め 5

文字数 1,079文字

 施療室に鳰を寝かせると、女子の診察をするのだから、と俺らは梟によって廊下に押し出された。
「主は早う服を着てこい!」
 戸口で茫然と立ち尽くしていると、鸞に尻を叩かれた。
「お、おう!」
 急に寒気を覚えて俺は洗い場へ駆け戻った。

 衣を纏い濡れ髪に乾いた手ぬぐいを被って施療室の前に舞い戻ると、既に鸞たちは施療室の中にいた。
 床の上にちょこんと座った鳰は、まだ顔色は完全に戻らないまでも体調は良くなったようで、俺の顔を見て恥ずかしそうに微笑んで俯いた。
「あ……れ? もう大丈夫なのか?」
 些か拍子抜けした感で、俺は鳰の傍に近付いた。
 診察の道具を片づけていた梟が、俺をチラリと見た。
「鳰の心臓は作り物なのでな、臨機応変が中々利かぬのだ」
「……で、それが?」
「端的に言えば、過度な緊張と興奮に肺と心臓が同機し損ねたということだ」
「過度な……緊張と……こう……ふん?」
 何のことやら解らず、そのまんま復唱すると、隣に座っていた鸞が盛大に溜息を付いた。
「鳰が自分の間合いで出ようとしておったのに、主が急かすから恐慌を起こしたのよ」
「は? 俺の所為か?」
「そうよ! 主の所為だ! この朴念仁!」
「のぁっ!」
 俺が何か対応を間違うと、鳰が損害を被ると、そういうことなのか? 
 ええ? これはなんと難しい……。
 俺は頬に両手を当てて俯いた。
 まさか、俺の所為だったとは……。

「ああ、あのっ! におが、おせわをしたくて、その……はくりゃくののは、わるくない!」
 俺と鸞のやり取りを見て、鳰は慌てて腰を浮かせ、両手を振った。
 眉間にギュッと皺を寄せた鸞が、鳰を横目に不機嫌な態度を露わにする。
「なぁ? これで分かったであろう? 鳰には自前の心臓が必要なのよ! たびたび、こう白雀をビビらせるのは本意では無かろう? 先程なぞ鳰を抱えて真っ裸で飛んできたのだぞ?」
 鸞の苦言に鳰はシュンとなって腰を下ろした。
 たびたび? ビビらせる? 今後もかようなことを起こすというのか?
 俺は困惑して顔を上げた。

 鳰が下を向いたまま、膝の上で両の手指を絡ませる。
「みんな たいへん らった。にお なにも れきないから。……はくりゃくのの におのために あんな……。しらなかったから…… なにか したくて……」
 鳰の声がだんだん震えてきて、俺だけでなく鸞や梟、阿比まで狼狽え始めた。
「や、気にするな、な?」
「ほれ、また興奮すると……」
「すまぬ! 言葉が強かったな!」
「深呼吸。深呼吸だ」
 とうとう鳰の手の甲にポタリと落ちた涙を見て、大の男ども(約一名は例外)が泡喰って大騒ぎになってしまった。  
 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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