水上の蛍 8

文字数 979文字

「動くな!」

 俺は雎鳩に言い置くと、庵の階段を駆け上り、かろうじて蛇の尻尾を掴んだ。次の足で踏み込みながら蛇の頭に合口の刃を突き立てる。それでも蛇はノタノタと胴を動かして藻掻(もが)いた。
 しぶとい。
 俺はそのまま蛇の身体を血飛沫を撒き散らして縦に掻っ捌いた。青白い球がコロリと転がり出る。肩で息をしながらそれを左手で拾った。

 目の前で、烏衣が目を丸くして硬直していた。
 軽く目礼してから、鸞の方へ振り返る。
 鸞もどうにか蛇を始末したようで、玉を片手に蛇をクルクル振り回しながらこちらへ歩いてきていた。
「蛇は2匹だったか?」
「そのようだぞ!」
 鸞はこちらに玉を差し出した。

 サラリと風が吹き、池に浮いていた蛟の割れた頭も白い胴もボロボロとほどけて崩れて消えていった。赤黒く残っていたイソギンチャクの跡も次第に地面に飲まれて消えていく。

「あれ? 俺の脱いだ衣はどこへ行った?」
「あ! ごめん! 回収するの忘れてた……」
 雎鳩が目を丸くした。
「これかー?」
 鸞が、赤黒い池の水でドロドロになった晒の上着を、汚いものをつまむようなそぶりで持ち上げた。安摩の面も顔を近付けるのも厭われるほどのヘドロ臭だ。合口の鞘の方はかろうじて衣に引っかかっていて流されておらず、ホッとした。
 それにしても凄まじいことになっている。
 濡れそぼった身体には、穢れた池の水が貼りつくようにしてあちこち(まだら)や網目の赤黒い筋を描いている。崩れた(たぶさ)は乱れかかって見られた様ではないだろう。
「先に帰っていてくれ。この成りでは流石に、馬車に乗るわけにはいかぬ」
「駄目よ。ずぶ濡れな上に半裸じゃないの。風邪をひくわ。私の被衣(かつぎ)があるから、それを羽織ってちょうだい」
「それでは、汚れてしまう……」
「私が良いって言ってんのよ!」

「あの……」
 俺と雎鳩が言い合っていると、烏衣が恐る恐る口をはさんだ。
「こちらの方は?」
「え?」
 雎鳩がキョトンとする。
 あ、俺のことか?
「ああ、うちの侍従よ。(ちん)というの。さっき安摩の面を被って控えてたでしょ? 彼よ」
「こんなに……ずぶ濡れになっているということは……、此の方が(わらわ)を……」
「まぁ……そうね」
「では、此の方がこのような様になっているのは、妾の所為!」
「それはそうだけど……」
「では、妾が此の方をお送りいたします!」
 いや、それはなんか変だろう。
 俺は目をパチクリさせた。 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み