汲めども尽きぬ 3

文字数 1,308文字

 宿屋の主人から町(なか)に公共の温泉浴場があると聞いて、夕餉前に鸞と連れ立って出かけることにした。宿屋が用意してくれた揃いの湯帷子(ゆかたびら)と綿入れ、宿屋の名前入りの手ぬぐいを持たされる。
「これで、入浴料は宿賃込になりますから」
 なるほど。考えたな。ある意味、これで俺らは「余所者」と知れるわけでもある。
「此れなら、主に変な虫がつかぬから良いな」
 鸞は目をキラキラさせて俺を見上げた。
「は? いつ虫が付いた?」
 キョトンと鸞を見返すと、鸞はプスンとむくれて俺の右腕に絡みついた。
「湯屋までこれで行くからな!」
「あ……歩きづらいわ」
「黙れ! 朴念仁!」
 誠に血の気の多いことよ。もう少し言い様というものがあるだろう。

 宿屋の表に出ると、揃いの手ぬぐいを手にした旅の者らしき集団が、三々五々歩いている。おや、ここは湯治の町であったのか。今更ながら気が付いた。行き当たりばったりで動くのはやはり不案内だ。
 明日、刷り屋でも探そう。地図が要る。

 湯屋に来てから、男女の浴場に分かれる。
「では! あとでなー」
 鸞は楽しそうに暖簾を分けて奥へ引っ込んだ。久生も温泉は楽しみなのであるな。興味深い。
 俺も男湯の暖簾を分けて奥へ入った。衣を入れる籠の管理をする男が俺に籠を差し出し、怪訝そうに首を傾げた。
「おや、兄さん、ケガをしておいでかい?」
「ん?」
 男が指をさすところに触れた。耳の下の辺りだ。
 ああ、今朝の……。拭いきれておらぬところがあったのだな。浸かる前に濯いで置かねば。
「此処の湯は、傷には染みるよ。治りきっておらぬのであれば気を付けな」
「お気遣いかたじけない」
 岩で囲った温泉から手桶に湯を汲んで、人から離れたところで丹念に身体を、首周りをぬぐった。首周りは染みない……ということは、やはり傷はないということだ。獺の噛み跡が消えたのは説明がつくが、喉笛を噛まれた次第についてはどうにも説明がつかない。
 まぁ……よい。その内何か解るだろう。
 血が付かなくなったのを確認してから、岩陰の隅からそっと湯につかった。思ったより熱い。
「い!」
 急に痛みが来て驚いた。右肩だ。恐る恐る見て、ガッツリ残っている爪痕に気が付いた。ああ、神猿の掴んだ跡だ。これは忘れていた。
 腰を浮かせて肩が出るように姿勢を調整する。

「おや、兄さん、これまた立派な勲章だねぇ」
 ふいに、頭に手ぬぐいを被った商人風の中年男に声を掛けられた。左腕の傷を見たらしい。これは隠しようがないからしょうがない。
「此れの治療に湯治かい?」
「ええ」
 笑顔で返す。
「旦那も、湯治ですか?」
「俺は商売さ。明礬(みょうばん)を扱っている」
「ほう……」
 ふと脳裏に閃いたのは雀鷂(つみ)の顔だった。
 明礬は、皮の(なめ)しに使う。
 嫌な連想だ。
「時に、この町は意外に栄えておりますな。湯治や明礬(みょうばん)だけでは此処まで栄えますまい。宿屋で、琴弾様の噂を聞き及びましたが如何(いか)なことかご存知か」
 商人は目を瞬くと、他の湯治客の耳を(はばか)るように小声で答えた。
「そのな、琴弾様のおかげで、この町は鉱山を引き当て、(みつぎ)の全てをソレで賄っておるのよ」
「ふむ……」
 稼ぎは丸儲けなのであるか。
 だが、この町の雰囲気は、それだけではないような。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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