ましらの神 7

文字数 1,246文字

 どれほど時が経ったであろうか。そろそろ背が凍り付くのでは無いかと身じろぎを繰り返していた頃、屋の内から(だつ)が現れた。子女と別れの睦言を繰り返し、戸口を閉めてから、またゆっくりと渡りを戻り始める。

「おお、そう言えば、ネズミがおったのだな」
 振り返ってこちらを見る。
「この寒いのにご苦労なことであるな。私は『(あく)の主』と言う者。其の方は何と申すのだ?」
「俺は蓮雀(れんじゃく)だ」
「ほう。で? ここで待ち伏せを企む者は大概、私を害する為に来ておるらしいのだが、其の方もそうであるのか?」
「まぁ、退治しろとは言われたがな。そも、殺生は好まぬ。渥殿が、ここの子女へ通うのを止めていただければそれで手を打とう」
 俺はゆっくり立ち上がった。渥の主は、片眉を上げてニヤリと笑った。
「ほほう。異なことを申す奴。私が嫌と言ったら? 力尽くで来るのか?」
「ってことは、答えは『否』なのか?」
「無論! ここの館の主は何故私がここに来る羽目になったのか、未だ理解してはおらぬ」
「それは……初耳だが」
 俺が訝ると、渥の主は俺に向き直って値踏みをするようにマジマジと見た。
「それは、これまで訊かれなかったからよ。これまでの強者どもは、問答無用で私に挑んできたからな」

 その時、館の方からどやどやと複数の者が馳せ参じる足音がした。武器を携え具足に身を包んだ護衛が複数と、その後ろに御館様が控えている。
「さても渥の主よ! 妖怪の分際でヒトの娘に手を出すとは! 大人しく縛につけ!」
 御館様が指示をすると、先頭の護衛の者が矢をつがえて渥の主をとらえた。渥の主は、肩をすくめると、首を左右に振った。右手を前に差し上げて、何かを誘うようにクイと指を動かすと寝所の戸が開き、しどけない格好の子女が姿を現した。トロンとした目でそろそろと歩き、渥の主の背中に貼り付く。
「貴様ら莫迦であろう。そこで矢など放てば、此処な子女にも当たるぞ」
「ひ! 卑怯な!」
「貴様らは一方的に被害者ヅラをして居るがな、どうにもオツムの回転が悪いようなのでこちらから教えてやるわ。この因果の一番の因は、貴様だ」
 渥の主は、ビシリと御館様を指した。
「禁足地に手を出したであろうが」
 御館様の目が見開かれた。

「なぁ……。俺ら出番がないかもしれんな」
「そうだな。でも、顛末は気にならんか?」
 渡りの下で、俺と鸞はコソコソと言葉を交わした。
 折角待っておったのに無駄になったか? 

 ぎゃっ! という声が上がり、どうっと何かが落ちた気配がして、俺は再び視線を渥の主たちに戻した。
 御館様のすぐ前で矢をつがえていた護衛の首が無くなっている。返り血を浴びて御館様が色を失っているのを、渥の主はニヤニヤと笑いながら見ていた。子女を抱き寄せると無抵抗な肌のそばで、その大作りな口を開く。ゾロリと鋭い白い歯が覗いた。ベロリと赤く長い舌を出し、子女の首筋から耳朶をそろそろと舐め上げる。子女が甘い溜息をついた。
 その場の誰一人動けずにいる。
「さて、己が罪を思い出したかのう?」
 渥の主は目を細めた。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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