業鏡 4

文字数 795文字

 (きょう)の施療院には患者が来る。
 当たり前だ。
 国主が『丹』の研究を頼むほどの腕利きなのだから、近隣の町村からだけではなく遠く城下からも患者がやってくる。町中で開業なぞしていたら、それこそ休む暇もない繁盛っぷりであったろう。あえて僻地で開業している理由も知れる。

 その、遠方からの来訪者の中に思わぬ人がいた。高貴筋の患者の付き人として、仕官時代の同僚がいたのだ。
白雀(はくじゃく)! 白雀ではないか!」
 庭仕事をしている時に声を掛けられ、驚いた。
「……計里(けり)か?」
「おう! 生きておられたか。それはようござった」
 髪をぴったりと撫でつけて髷を結い流行りの柄の着物を身に付けた姿は、羽振りの良い商家の(とも)の者らしく、仕官時代のピリリとした姿からは随分と柔らかい雰囲気になっている。

「ああ。幸いと命を拾うことができた。まぁ、この(ざま)だから仕官には戻れぬが」
 俺は、傷跡が見えぬように包帯でグルグル巻きにして首から吊っている左腕を見やった。
 どこからかのっそりと波武(はむ)が現れ、計里の足元の臭いをスンスンと嗅ぎまわり、施療院の方角を見やった。思わせぶりな仕草にこちらもつられて施療院の方を見る。

「なんと大きな犬よ。これは……」
 計里が驚き、一歩引いて波武を眺める。
「この施療院の医術者が飼っておられる。賢くて良い子だ」
「ほう。かような山奥であるからなぁ……。畑を荒らす獣も出るのであろう」
 どうやら、害獣よけに飼っていると思ったらしい。

 波武は、俺の腰のあたりを鼻でついた。
 なんだ? 施療院に戻れというのか?

「どうだ、折角相(まみ)えたのだ。(なか)で茶でも呼ばれぬか?」
 俺は計里を施療院の方へ促した。
「や、……でも……」
「主は診察中なのであろう。きっとしばらくかかる」

 ここで計里と初めて()ったということは、計里の主は初診だ。具合を聞き出して治療の目途をつけるのに大分時間がかかるはずだ。

 俺は、(くりや)にある休憩場所に計里を(いざな)った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み