釣瓶 7

文字数 1,084文字

 じりっと身を退ける。雀鷂(つみ)が、甘いような酸っぱいような()えたにおいを立てながらにじり寄る。
「狼狽える様がまた、いたわしいことよ」
 涎を垂らさんばかりというのは、こういうのを言うのか?
 雀鷂がしなだれかかってきたので、思わず避けたら体勢を崩して後ろに手をつく様になった。
「……風呂に入っておらぬ」
「だから何じゃ?」
「無精髭をあたっておらぬ」
「障りにもならぬ」
「あの……」
 他に……何か思いとどまらせる策はないものか? 
「!」
 あっと思う間もなく、雀鷂に肩を掴まれて床に押し倒された。馬乗りになって俺の顔を覗き込む雀鷂は、微笑みながら舌なめずりをしている。
 背筋がゾワリと粟立った。
「楽にしておるとよい。じきに良くなる」
 相手は女子と思うと、力尽くで跳ね飛ばしてよいものか迷う。
 オマケに外は吹雪だ。逃げたとて、庵まで辿り着けるか不安が残る。
 とりあえず、昏倒させて捕縛でもするか? しかし、誤ってケガでもさせたら如何としよう。
 頭の中でグルグルと考える。
 その間に身をかがめた雀鷂が、俺の首筋に唇を押し付けた。
 得体の知れぬ嫌悪が走り、さすがに身を押しのけようと雀鷂の(はだ)けた肩口を抑えると、チクリと何かがふれた。
 なんだ? これは。針? いや……硬い糸のような。
 俺は夢中で摘んで引っ張った。
 一気に饐えた匂いが広がり、俺の左腕が燃える。

「ちッ!」
 次の瞬間、雀鷂が舌打ちをして飛び退いた。俺が触れて違和を覚えた左の肩を押さえている。雀鷂の肩から首筋にかけての白い肌がベロリとめくれて、皺染みだらけのしなびた皮膚が覗いてた。
 俺の右手は、まだ糸を摘んだままだ。
 コヤツ、若い皮を被っていたのか。
 だが、声と言葉だけはどうにもならなかった。

「その糸を放しや! 若僧!」
 雀鷂は険しい顔で俺に怒鳴りつけた。よく見ると、つなぎ目のほどけた肌が端から潤いを失って乾燥しかけている。
 好機を放せと言われて、放す莫迦はおらぬ。
 俺は素早く糸を手繰った。どのようにはぎ合わせてあったものか糸はつるつると解けて、とうとう胸元の辺りまで肌がめくれて垂れさがった。
「放せと言うておるに!」
 俺につかみかかろうにも剥がれかけた肌を抑えるのに手一杯で、雀鷂は身動きが取れないようだ。
「其方、……(たばか)っておったな」
「謀る? どんな心を尽くしても、若くなければ価値が無いと言うたのは貴様らではないか! だから、(われ)は若い肌を誂えたのよ! それの何が悪いのだ?」

 お、俺はそんなことは言ってないが? 

「なんだ? 其方……八つ当たりか?」
 思わず思ったことを口走ってしまった。
 雀鷂の髪が、ゾッと逆立った。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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