遠仁の憑坐 8

文字数 977文字

 翌朝、俺はいつも通りの時間に起きて着替えた。
 片手で着替えることに慣れていたので、返ってぎこちない動きになってしまう。

 ええと……何をやってるんだ、俺は? 
 
 筋力が落ちている所為か、こうだったはずという思った通りの動きも出来ない。ああ、こうなったら「左腕は働かない」として動いた方が早く出来るかも……。
 もたもたしていたので(にお)が様子を見に来てしまった。
 ほとほとと扉を叩いてから顔を出した鳰の足元から、波武(はむ)まで顔を出す。

「あ、おはよう鳰。済まぬな、もう食事ができているのであろう?」
 ヘンに皺が寄ってしまった袖をもう一度通し直しているところだった。
「なかなか出て来ぬので心配したか。昨夜のことはもう影響ない。案ずるな」
  
 鳰はそばまで来ると俺の着替えを手伝い始めた。
 波武の方が表情豊かに「何をやっているのだ?」と言いたげな不審顔を上げる。

 正面に立った鳰が、腰紐を結ぶために俺の胴に手を回し、ふと(おもて)を上げた。もう一度俺の左脇に面を向ける。紐を渡しやすい様にと、浮かせた俺の左腕に気が付いたのだ。手早く紐を結び付けた後、恐る恐る俺の左腕に触れる。
 俺は、ふと笑みを漏らすと、鳰の滑らかなビスクの頬に左手で触れた。鳰は動きを止めてこちらに面を向ける。そのまま、機能を止めたかと思うほど、しばしの間固まっていた。

「ショック療法なのかもしれぬな。あの後より、動かせるようになった。毎日、鳰がさすってくれていたおかげで、関節を柔らかいまま保つことができていた。筋力はどうしようもないが、思ったより滑らかに動かすことができる。……礼を言うぞ」

 鳰が、俺の左手にヒヤリとした作り物の右掌を重ねた。やがて、左手も添えて、俺の手を腕をやさしく撫でさすり始めた。

 俺の腕を、無惨な傷跡の刻まれた俺の腕を、それはそれは愛おしそうに……。

「鳰………」

 胸を、ぎゅうと捕まれる思いがした。
 遠仁どもは、鳰から全てを奪ったのかもしれない。
 鳰を捧げた者は引き換えにかけがえのない何かを得たのかもしれない。
 でも、このやさしく清らかな魂は、鳰のものだ。
 誰にも奪うことは出来ない。
 俺は、

に応えねばならない。
 もしかするとこれは運命で、そのために『丹』は俺に与えられた(もの)なのかもしれない。

 どれほど険しい道になるのかはわからぬが、取り戻して見せよう。
 鳰の、肉体(からだ)を……。 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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