紅花染め 15

文字数 688文字

 俺の中の衝動が、ふいにぐわりと持ち上がった。
 腹の底に力を入れた。
 ゴクリと固唾を飲む。

 待て……待て……待て……。

 無視できない勢いで渦巻くものを必死に(なだ)める。
 鳰が、俺を求めるのは良い。
 でも、俺が鳰を求めるのは、違う。
 奪って逃げるだけになってしまう。
 それは、鳰を不幸にする。
 悔いを残さぬように。
 それは、鳰だけでなく、俺にも当てはまるはずだ。

 俺は、覚えず止めていた息を、ほうっと吐き出した。
「そんな言葉、誰から習い覚えた?」
「……すいれんあねさまに」
 素直に答える鳰に、俺は苦笑で返す。
「悪い……姐様だな」
「そうなのか?」
「今の鳰に俺が『すき』を働いたら壊れてしまう」
「そんなことをするのか?」
「ああ。息がつまって青くなる程度じゃ済まぬよ」
「では、しんぞうがもどれば よいのか?」
「ああ……心臓がもどったら、な」
「ちょっとは?」
「なんだ? その『ちょっと』とは?」
「ゆび たびられた くらい」
 
 俺の心臓が跳ねた。

「あれは……あの時は、鸞や阿比の目があったから……。今は、あの程度でも無理だ。俺を殺す気か?」
「なんで? はくりゃくどのが しぬのか?」
「そういうのをな『生殺し』というのだ」
「なまごろし……」
 鳰はクソ真面目な顔で目を瞬かせた。

「なら いっしょに やぐに はいってよいか?」
「すまぬ、……無理! 俺が壊れる」
「よかった にお きらわれてなかった」
 
 ぐはぁ!
 そんな満面の笑みを向けるな!
 頑張れ! 頑張れ、俺の理性! 
 知らぬというのはマジで厄介だ。
 他意が無いだけ最悪だ。
 無垢は怖い。
 ああ、まだ生きてる。
 俺の「欲」は健全だよ、全く!
  
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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