玉の緒 10

文字数 1,019文字

「ところで、波武はどうした?」
 此度は鬼車が顕現するのは確かであったので、追って波武が駆けつける手筈であった。波武が鬼車を喰うことが出来れば、俺を喰えなくなった件がチャラに出来ようと思っていたのだが……。

 目の前の鬼車は、次第に身体を引いて撤退する気配を見せ始めた。
 このままでは逃げられる。
 俺が鬼車を追わんと足を踏み出した時、鸞が叫んだ。
「待て! 呼びがかかった! 鳰の元に戻るぞ!」
「は?」
「阿比だ! 吾を呼んでおる! 主、……此処には遠仁がおらぬと、違和を感じておったであろう? あっちに行きおった!」
「マジか!」
 俺は舌打ちをした。
「吾は先に行っておるから、主は梟と戻れよ!」
 そう言うと鸞は消えた。振り返ると、鬼車の気配も無くなっている。俺は戸口に戻ると梟の身体に触れ、声を掛けた。
「梟殿、無事であるか? 鬼車は残念ながら取り逃がしたが、鳰が危ないらしい。急ぎ戻るぞ!」
「あ、ああ。お……恐ろしい様であった……」
 闇の中、梟の気配が動いた。どうやら無事であったらしい。

 俺は部屋の戸に手を掛け、一気に押し開いた。戸の向こう側にいた家人が、勢いで尻もちを付いて後ずさる。俺の姿を見て怯えて固まる家人に詰め寄って、馬を準備するように言った。
「あ、あと、なんか上着をくれ。寒くてかなわん」
 家人は機械仕掛けのようにコクコク頷くと、()けつ(まろ)びつしながら廊下の先へ戻っていった。
 外はさほど明るいわけでもなかったが、今までが暗闇であったので、目が慣れるまで何度か瞬いた。
 鬼車の飛沫を浴びてべとべとした顔を素手で拭う。ジュワと音がして、掌が一瞬痒くなったが、直ぐに落ちついた。衣が焼け溶けたということは、なにやら酸の様なものであったのだろう。
 これが梟に付いたら火傷をするな。
 どうしたモノかと思っていると、後ろで梟がガサゴソと音を立て始めた。振り向くと、診察箱から晒や綿を取り出している。
「白雀殿、酷い火傷を負っておられる。ここに水があるので疾く冷やしてくだされ!」
「あ、いや……これは………」
 冷やす必要はないが、酸を拭っておかねば梟に二次被害が及ぶであろう。
「水だけいただけるか?」
 俺は焼けただれたように見える皮膚を、竹筒に入った水で(そそ)いだ。表面がつるりと剥げ落ちて元の肌が現れたのを見て、梟は目を丸くした。    
 ほう。アレは被っただけで致死に至るモノであったようだ。
 だが、……何故か今回は、例の境まで戻らずとも済んだな。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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