紅花染め 4

文字数 1,152文字

 施療院で治療を受けていた頃は、平気で鳰に裸を晒していたはずだった。いや、でもあの頃は、鳰が人の成りをしておらぬので気にしていなかった、と言う方が正解なのか? 成りは変わっても中身は同じなのだ。何をそんなに構うことがあろうか。

「理屈では解っておるのだ」

 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。湯気がもくもくと立ち込めた洗い場で、(たぶさ)を解く。湯をはった桶に漬けておいたフノリの入った晒袋をしごき、麦の粉を混ぜた。手桶で湯を汲んで頭に被り、湯をなじませた後で、とろりとした白濁液を髪に塗りつけた。(くしけず)ると、赤黒い皮が櫛の歯に引っ掛かる。
 ああ、頭の皮も火傷しておったのだな。

 髪を洗い流し髻を結なおした後、ふと背後に注意を向ける。
 戸口が開く気配はないが……。

「おい!」

 戸の向こう側でガタンと音がした。
 どうやら、戸の桟につかまったまま逡巡していたらしい。
「そこにいては寒かろう」
 そろそろと引き戸が開く。隙間から眉をハの字にした鳰の目が覗いた。
「じきに洗い終えてしまうぞ」
 ちょっと意地悪な物言いであったな、と後で反省したが、その時はそれが事実であったから、つい、つるりと口にしてしまった。
 だから俺は「朴念仁」なのだ。

 俺の言葉に鳰は慌てて洗い場に入ってきた。裾を(から)げた薄衣姿の鳰が目に入って、俺はくるりと背を向けた。白くほっそりとした(はぎ)が脳裏に焼き付いて、慌ててかき消す。
 背後に来た鳰は、何故だかまず俺の両耳に触れた。
 ん? 水を使うのだ。念波装置は入れておらぬぞ。

 その後、鳰は手桶に湯を汲んで、背中を流す手ぬぐいを用意はじめたようだった。
「よいか?」
「ああ」
 鳰が背中を擦り始めた。時々、力加減の良し悪しを聞くが、こちらに注文を付けるような余裕が無い。うん、とか、ああ、とか適当な相槌を返して(かしこ)まる。

 そうこうしているうち、だんだんと鳰の様子がおかしくなってきた。
 息が乱れ、時々手が止まる。
「なぁ……、鳰?」
 何度目か手が止まった折に、どうしたのか、と俺はそっと振り返った。
「あ……」
 鳰は俺の背後で真っ青な顔をして蹲っていた。
 一気に毛が逆立った。
 俺は鳰の身柄を抱え上げると急いで廊下に飛び出した。

「梟殿! 鳰が! 鳰の具合が!」

 診療の準備をしていたらしい梟が、診療部屋から顔を出した。厨から鸞が、廊下の奥から阿比と波武が姿を現す。
「顔色が真っ青なのだ! 施療室に運ぶぞ!」
 濡れた体のまま鳰を抱えてズカズカと廊下を進む。
 鸞がお玉をかざして付いてきた。
「主、(ふんどし)は? せめて腰巻くらいは……」
「んな悠長なことを言っておられるか! 鳰、息は出来るか? 深呼吸だ!」
 鳰は俺の腕の中で丸まって、目を落ち着かな気に動かし、口をパクパクさせている。ええい、こういう時は念波で無いと鳰の意思が分からぬ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み