紅花染め 2

文字数 971文字

 獣がこちらに威嚇の唸りを上げた隙に、波武が喉笛に嚙り付いた。太い前足をバタバタと振りながら獣が波武を引きはがそうと暴れる。
 俺は鴻を引き抜いて獣の眉間に突き立てた。刀身の半分まで突き入れたところで引き抜く。
 獣は創口から据えた臭いのする体液を振り撒きながら横ざまに倒れた。
 波武は、獣の動きが完全に止まるまで喉笛を抑え込む。

 獣がこと切れるのを確かめるより前に、俺は周囲を漂っている遠仁どもを喰い始めた。モノに憑いた遠仁よりも、

のコヤツらの方が鳰にとっては脅威だ。俺は夢中になって遠仁どもをむさぼり喰った。

 そのうち、身体の内から吹き上げるような熱が湧いてきた。浮かされたように頭がクラクラする。俺の中の丹が過剰に働き始めたのだ。
 ヤバい。喰いすぎた。

「白雀、落ちたぞ」

 波武の声に俺は振り返り、先程穿った獣の眉間から青白い玉を取り出して左手に吸い込んだ。
 もう、……熱くて仕方がない。
 俺は玉のように浮かんだ汗を拭った。

「よし! 大丈夫だ! 遠仁が、引き始めた!」
 鸞の声に、ふっと気が抜けた。

 阿比の琵琶が止んだ。
 
 俺は、前かがみになって膝の上に手を付いた。
 肩を上下させて大きく息をする。
 ボタボタと汗が床に滴り、水溜まりを作った。

「立て続けだったからな! ちと、無理が過ぎたか!」
「………」
 俺は床を睨みつけて荒い息をしたまま頷いた。
 視界の端から白い衣の裾が近寄ってきた。
 ああ、鳰か……。
 ちょっと、待て。
 今は、……応える余裕もない。

 俺の腹の下に波武が鼻面を突っ込んだかと思ったら、そのまま背中(せな)まで担ぎ上げた。
「助太刀感謝するぞ」
「いや……」
 ……たいしたことではない。
 後の言葉を紡ぐ気力も無かった。
 俺、つい先程までは、半裸で震えておったのにな。
 ほんに今日は忙しいことよ。
 視界に心配げな鳰の顔が映ったので、努めて笑みを作って応えた。
 視界がぐるりと回る。
 遠くで梟の声がした。
 続いて、阿比の声が……。

 でも、何を言っているのか、……もう解らない。



――白雀、あんた、ホンットに無茶苦茶ね
――魂が肉から離れると、その分「その時」が早まってしまうから
――此処には来ないように しばらく私が番をしてあげるわ
――さあ、戻って 
――あんたの仕事は未だもう少し残ってるんだから
――ああ、あと、……拾ってくれて ありがとう

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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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