花方 1

文字数 907文字

 多分これは一度しか使えない技だ。
 両手の内に包まれる程の美しい玻璃の杯に、鳰と俺の血が注がれる。
 朱殷(しゅあん)に混じりあった液体が、次第にもったりとなって玻璃の内側に膠着(こうちゃく)した。

「これで、鬼車が寄ればよいがな……」
 鸞の言葉に俺は頷いた。
「波武を借り受ける。鬼車が現れたら、……今宵で決着をつける」
 目配せをくれると、阿比は俺と視線を合わせ、黙って頷いた。
「鬼車を(つつ)けば、鵠が出て来るやもな」
「それはそうよ。信奉する神を(ほふ)ろうというのであるからの」
 いくら鵠が夜光杯を持っていようと、贄を捧げるべき神が不在であれば意味がない。
 前回、あれほどの痛手を与えたのだ。きっと腹に据えかねて手ひどいしっぺ返しを企んでおるやもな。それを見越して、波武を加勢にしたのだ。

 俺の右袖の肘の辺りを掴む手を左手でそっと握り込んだ。鳰が、心配そうに俺を見上げる。

 大丈夫。
 きっと、心臓を取り返す。

 俺は鳰に笑みを返した。

 俺らは日暮れ前に施療院を出立した。
 門口で見送る、鳰、梟、阿比に手を振ると、俺らはふらりと旅立つ風情で鷹鸇の屋敷跡廃墟へ向かった。

「波武は、いつも何処から鬼車のところへ行っていたのだ?」
「ああ、(われ)は堂々と鵠の屋敷からよ」
「出入り口には結界を張ってあったぞ?」
「吾には関係ない。多次元を移動する鬼車にしか効かぬ結界だ」
「へぇ……」

 地下へ潜る洞穴の天井の入口には氷柱が下がっていたが、更に奥に進むと少し温かくなった。光が乏しくなり松明を付けようとすると、波武がいらぬ、と言って先頭にたった。
 灰色の毛皮をブルリと振ると、白銀にぼんやりと光った。まるで、波武自身が灯火になったようだ。ついてこい、と顎で示す後に続く。俺と鸞が通ったことのない通路を波武はずんずんと進んでいく。

「こんな……上に登る道は知らぬ」
「だろうな。下から照らすと影になる」
「同じ道を戻れるとも思えぬな」
「鵠の側はわかりよい」
「なるほど」
 
 国主殿の屋敷下は儀式用に整えられているのだな。

 横穴の多い通路を通ることなく、例の広い空間まで出た。
「鵠の屋敷は、この先だ。そろそろ

を振り撒いて良いぞ」
 波武の言葉に、鸞は懐にしまっていた玉杯を取り出した。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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