瑞兆 2

文字数 600文字

 朱雀が向かったのは番舞(つがいまい)の楽屋だ。『蘭陵王』を舞った花鶏に

である花代を持って行ったのだ。
 波武は、見物客の人混みをぬって楽屋へと向かった。

 舞台と楽屋を繋ぐ廻廊で、腕組みをして今演じられている『落蹲(らくそん)』を眺めている男の姿を認めて、波武は目を瞬く。

「おや……花鶏殿、何故此処に?」
「ああ、波武殿か」
 花鶏は波武の姿を認めて破顔した。朱の袴に白い上着という舞衣装の内着姿である。彼は、城下の警邏隊の隊長を勤めた頃から、その人望を買われて順当に召し上げられ、今では「(そなえ)」と呼ばれる一個師団の士大将である。舞の名手の孫弟子として新嘗の奉納舞では舞手全般の指南役の責を負う身でもある。

 楽屋に居ると思ったのに、何故ここに居るのか、と波武は訝った。

「若に会わなんだか?」
「ああ、今、楽屋に行っておる」
「先の舞は……花鶏殿では無かったのか?」
 波武が不思議そうに首を傾げると、花鶏は肩をすくめて徒小僧のような笑みを浮かべた。
「此度は祝いだと言われてな、俺に代われと言うのよ。相変わらず舞の好きな御方だ」
「なんと! 来ておられたのか!」
 波武はハッと楽屋の方へ視線を向けた。
「久しぶりであるな」
「いや、ちょくちょく我の指南に来て御座った。御台様(鷦鷯殿)にはくれぐれも内密にと緘口を()かれておったがな。もう潮時と思われたようだよ」
「あの御方らしい……」
 波武はふっと笑みを漏らすと、袖を翻して楽屋へ続く廻廊へと向かった。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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