堕ちた片翼  10

文字数 1,425文字

 自室の扉を勢いよく開くと、一気に風が流れた。
 窓が……枕辺の窓が開け放しになっている。
 長物は、跡形もない。

 鷹鸇(ようせん)が……持って、逃げたのか。
 遠仁(おに)憑きの美しい刃物を……。

 あの、恍惚として浮かされた鷹鸇の目を思い出した。
 かの遠仁は、鷹鸇が堕ちるまで愉しむと言っていた。
 己の命を奪い刀を奪った相手を破滅させるまで、あの長物は鷹鸇を魅了するのであろう。俺は……それを是とした。
 俺も、遠仁かもしれぬな。

 言葉も無いまま立ち尽くしていると、後ろで花鶏(あとり)が上ずった声をあげた。
「白雀殿! よもや、左腕のことも(いつわり)でござりましたか!」
「っ!」
 しまった! 無意識であった!
 俺は、懐手から勢いで肌脱ぎになって扉を抑えていた左腕を認め、血の気が引いた。

「なんとあさましきことだ! 鷹鸇殿は酷い! 白雀殿が一体何をされたというのだ!」
「あ、花鶏(あとり)、声が……声が大きい」
 俺は慌てて花鶏を抑えた。
「これは! これは中央に訴えても(しか)るべきことかと思います! 白雀殿は生きておられる! こうして回復しておられるのに! 家督どころか戸籍抹消、お家は断絶と! とんでもないことにございます! 鷹鸇殿を捕らえたら、きつく、白雀殿の分も償わせるべきだと思います!」

「あー。花鶏、お願いだ、……黙ってくれ」
「しかし、白雀殿……」
 更に何か言いつのろうとする花鶏を抱きしめた。
 若さゆえの真っ直ぐな正義感は誠に尊い。
 こちらが気恥ずかしくなるくらいだ。
「俺の代わりに……怒ってくれて礼を言う」
「白雀殿ぉ……」
 怒りが極まって涙声になっている。可愛い奴だ。

「ここまで回復するには大変に時間がかかりすぎた。上もさすがに待てぬだろうよ。俺は、誰も恨んではいない」 
 花鶏が怒りを爆発させてくれたおかげで、かえってこちらは冷静になれた。 
 俺は、花鶏を抱きしめたまま、その耳元で囁いた。
「鷹鸇は、業物(わざもの)の刀を担いでここへ来た。鯉口の紋を漆でつぶしてあったが……アレは、……旗組の(かりがね)殿の御持ち物だった一振りだ」
 雁も同宿であったため、あの長物に刻まれていた紋には見覚えがあった。
「えっ……流れ矢で亡くなられた……雁殿の……」
 戦死扱い……。やはり、そうであったか。
 旗組とは戦場で部隊ここにありという場所を示す者らだ。自陣近くに居る者なので前線からは控えているはずだ。
「こちらが押している戦で、旗組の者が損なわれるわけがない。アレは、鷹鸇がどさくさで命を奪って強奪したものだ」 
「まさか……」
「因果は巡る。きっと、鷹鸇は……相応の報いを受ける」
 俺は、腕をほどいた。
「そう、……信じる」
「……」
 花鶏は赤く滲んだ目をこちらに向けた。
 
 そこへ、軽装騎馬隊の残りの2人と梟が駆けつけた。
「俺が預かっていた鷹鸇の長物は、貴奴が持っていったようだ」
「なんと……そうであったか」
 俺の言葉に、梟は眉を曇らせた。

 梟の後ろで騎馬隊員の2人が、不自然に視線をそらせた。
 ああ、俺、肌脱ぎのままだったな。腕の傷を見たのか。
 おもむろに衿を引き上げ着物を整えた。一度、左腕が動いているところを見られてしまったので、仕方がない。もう、動かない振りは止めだ。

「花鶏、俺は、ここで自分のすべきことを見つけたから、もう仕官には未練はない。俺と働くのを楽しみにしていたのだとしたら、残念だが……。もう、俺の心配はせずともよいから」
「うっ……」
 花鶏は歯を食いしばって、俯いた。
「城下の旧知には、白雀は戻らぬと伝えてくれ」
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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