入れ子 8

文字数 1,031文字

 翌日、俺は鳰と共に兵部大丞の屋敷へ向かっていた。鳰が、雎鳩に直接衣装を返したいと言うのだ。肺と舌を戻す施療はそれを終えてから受けるという。

(白雀殿と雎鳩様の間に何があったのかは存じませぬが、ちゃんと仲直りはしてくださいませね。そうでなくては、安心して施療を受けられませぬ)

「喧嘩ではない。仲たがいした謂れもない。俺の任期が明けただけだ」
 俺はムッとして鳰を見下ろした。鳰は相変わらず変な誤解をしたままだ。悪あがきかもしれないが、俺と雎鳩の間に悪感情は無かったことは確実にしておきたい。

(解雇されたくらいでかように乱れますか? 絶対嘘ですよ、それ!)
 ああ。嘘だよ、嘘。何故、かような些末にこだわるのか。
 正直言うと、雎鳩本人に会うのは怖かった。いくら伯労と同体の同居状態であったとはいえ、本人の思惑までは図れない。それに、俺が正気で居られるのかも自信が無かった。

 俺らは雎鳩の自室まで通され、雎鳩の登場を待たされた。やがて、戸が開き雎鳩本人が現れる。俺は、姫君のお出ましを待つ客人として身を低くして迎え入れた。
(おもて)を上げて下され。衣はそのまま差し上げてもよろしかったのに、わざわざ鳰様本人がお()でになるとは、言葉が足らず申し訳ないことをいたしました」
 紛うことなき雎鳩の声。しかし、その落ち着きを払った調子は全く別のモノだった。
 俺はゆっくりを面を上げた。
 確かに、そこに鎮座していたのは雎鳩であった。
「白雀も、此度は妾の護衛をしかと勤めていただいたこと、誠に感謝しております」
 ……これが、雎鳩本人であるのか。確か、俺より年上であった。それは、落ち着きを払った大人であって(しか)るべきだ。
 鳰は、キョトンとして雎鳩を見詰めている。余りに雰囲気が違うが故、戸惑っているようだ。形にならない念波があちこちに飛び交っている。

「昨日の顛末、鳰様にお話しいただいたであろうか?」
「いえ……」
 俺は恐縮して頭を下げた。何処をどう辻褄を合わせたモノか迷った挙句、何も説明していない。

「鳰様」
 雎鳩は、ポカンとしている鳰を正面にとらえて居ずまいを正した。
「鳰様の幼名(おさなな)桃虫(ももむし)。本名は鷦鷯(しょうりょう)と申されます。鳰様は、国主鵠様のご子息であります蓮角様と、城下一の呉服問屋の末娘入江様との間にお生まれになった、歴とした姫君であらせられますよ」
(―――――)
 初めて体験する念波だ。
 鳰は許容量を越えたモノが押し寄せると活動停止するらしい。
 要するに、頭が真っ白になる、と言うやつなのだろう。
 
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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