紅花染め 11

文字数 1,318文字

 その日の夕刻、屋代から帰った鸞と阿比が、薬庫で薬研を使っている俺のところに来た。
「玉杯の手配が出来たぞ!」
 上機嫌の鸞に、よかったな、と俺は笑みを返した。
「……ったく、鸞は何をしたのだ?」
 阿比が今一釈然としない、と言った顔をしておる。ああ、唐丸の次第は、施療院が此処に来る前であったからな。
「屋代の爺どもが、女子の鸞に鼻の下を伸ばしておった。見苦しい」
「イライラソワソワする阿比が滑稽での!」
「しておらぬわ!」
「まったまたー」
 なんだ、この夫婦漫談は。
 気が悪い! 腹が減った! と阿比はぷりぷりしながら厨へ行ってしまった。その後ろ姿をニヤニヤと見送っていた鸞が、ふと真顔になってこちらを見た。
「今朝、出がけにな、鳰に伯労のことを聞かれたのだ」
「!」
「良く知らぬと誤魔化しておいたがの。主、なんぞ漏らしたか?」
「否」
 何ぞ、漏れていたやも知れぬが、意図して漏らした覚えはない。
「なんのかの言っても、やはり女子よの。妙な勘が働いたのやも知れず。粗相をせぬようにな」
 せぬようにと言われても……なぁ。
 手元に視線を落として、溜息を付いた。

 翌日の夕方。波武と一緒に兵部大丞家へ手伝いに行っていた鳰が、雎鳩から書付を託されてきた。それを見た梟が、俺に用事を頼みに来た。
「昨夜熱を出した子がいてな、置き薬が心もとないそうだ。子どもというモノは夜半に具合が悪くなるものだからな。仕方のないことだ。補充の薬を持たせるから、急ぎ持って行っては呉れぬか」
 俺は二つ返事で頼みを聞くと、気持ち多めに薬を持って兵部大丞家へ出向いた。
 門をくぐると、何故か、且つての精鋭の控えではなく雎鳩の居室へ案内される。何事かと身を低くして雎鳩の前に出た。上座に居れば、相変わらず、やんごとなき空気を纏ったお方だ。
「呼びだてして申し訳ない。嫁ぐ身の上となると、話すだけでも別の口実がいる」
 雎鳩の言葉に、内内のことか、と身を引き締めて(かしこ)まる。
「今日、鳰から妾へ……改まって話がありましてのう。……伯労の事を訊かれました」
 何と……鳰は、此処へまで(ただ)しに来ておったのか。
「白雀、面を上げてくだされ」
「……」
 ゆっくりと、顔を上げる。雎鳩は、眉を曇らせて俺を見ていた。
「鳰は、女子の身を得てから、其の方の変わり身を憂いておりましたよ」
「変わり身……?」
 ああ、避けておったことか……。
「まるで、腫物を扱うかのように我が身に接する、と。其の方が鸞や波武と小突きあったり顔を寄せて笑ったりしているのを見て、且つて己もその輪に入っていたのに、今では己には触れもしなくなった、と」
「……それは」
 童子の様の鸞と、すっかり女子らしい鳰を同じに扱うことは出来ぬ。
「其の方が、鳰を一人前の娘として扱うが故に、鸞とは違う扱いになっているのは、妾にも想像がつきまする。ただ、鳰は、それを違う意味で受け取っていたのですよ」
「俺は……決して鳰を厭うていたわけでは……」
「それは解っております。鳰は、……其の方の中に

がいるが故ではないか、と訝ったのでございますよ」
 俺は、ハッとした。
 鳰は、俺が伯労に(とら)われているから、女子としての鳰を避けておるのではないかと、そう訝ったということか。
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登場人物紹介

白雀(はくじゃく)

下級仕官の四男。戦では「花方」と呼ばれる切り込み隊の一人。

自他ともに認める朴念仁。堅物なくらいに真面目な性格。

新嘗祭の奉納舞ではトリを勤める舞の名手。

鸞(らん)

「久生(くう)」と呼ばれる魂を喰らう無形の神様。

白雀を気に入って自分の食物認定して付き纏う。

相手によって姿形を変えるが、白雀の前では5歳の童の姿でいることが多い。

傲岸不遜で態度がデカい上、戦闘能力も高い。

久生はもともと死者の魂を召し上げる役割を持つが、鸞の場合、生きている者から魂を引っこ抜くこともする。


波武(はむ)

実の名は「大波武」。成人男性を軽々背負える程の大きな白狼の姿の「尸忌(しき)」。

尸忌は、屍を召して地に返す役割を持つ神。

白雀の屍を召し損ねて以降、他に取られないように、何くれと力になる。

鳰(にお)

神に御身を御饌(みけ)に捧げる「夜光杯の儀」の贄にされ、残った右目と脳をビスクの頭部に納めた改造人間。

医術師の梟(きょう)の施療院で働いている。瀕死の白雀を看護した。

阿比(あび)

死者を弔う際に久生を呼び下ろす「謳い」。

屋代に所属しない「流しの謳い」を生業としており、波武、鸞とは古くからの知り合い。

遠仁相手に幾度となく修羅場を潜り抜けている。細かいことは気にしない性格。

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