第196話 結婚指輪
文字数 2,333文字
・四月四日 花見の場所取り・
夜桜が綺麗だ。
昼ももちろん綺麗だった。淡い、まさに桜色の霞か雲か。音もなく風に揺れるさまは、うす曇りの空に溶けていくかのようで。
あー、桜の根元で一日ぼーっと場所取りをしてたら、俺みたいなのでも詩人になれそうだ。これ以上じっとしてたら、俳人にもなれるかも。などとらちも無いことを考えていたら、ようやく花見の場所取りを依頼してきた人がやってきた。その後ろから、花見弁当やら酒やらが入っているんであろう袋をいっぱい抱えた男女が続く。
これでようやくここから離れられる。朝早くから暗くなるまで、ほんっとうに長かった。ま、ちびちびと日本酒を舐めながらの独り花見は、役得だったかもしれない。
けど、身体が冷えたかな。ちょいと寒気がして不穏な感じ。うーん、日当も良かったことだし、早く帰って熱燗でもつけようか。
……昼食がわりのアンパンの残りじゃ、酒には合わないな。コンビニでソフトさきいかでも買って帰るか。「肴は炙った烏賊でいい」とか渋くキメてみたいところだが、カッコつけてもしょうがない、所詮はバツイチ独り者。
ののか、パパ、寂しいよ。満開の桜を見てたら、何だか寂しくなっちゃったよ。……明日、元妻のところに電話だけでもしてみるか。
・四月六日 桜の下で町内会有志とゴミ拾い・
取っていいのは写真だけ。
残していいのは思い出だけ。
確か、登山者のための標語だったと思うが、花見客にも当てはまると思う。
昨日、今日は桜の満開が当たった土日。近所の花見スポットも、やたらと人出が多かった。露店が出るほどの規模ではないが、知る人ぞ知るで遠方から来る人も少なくない。
で、少数とはいえ、いるんだな。狼藉を働く者が。
枝を折るな。幹を傷つけるな。ゴミを撒き散らすな。……その辺で立小便するな。小さくても、清潔なトイレがあるんだから。
今日は、何でも屋の仕事ではない。町内会の有志によるゴミ拾いとパトロールに参加している。
宴会に浮かれていても、さすがにすぐ横でゴミ拾いをされたら、捨てにくくなるものらしい。ゴミ袋を持ってうろうろしていると、皆そそくさと弁当のカラだのビールの空き缶だのを元入っていたコンビニ袋などに仕舞い始める。
やれば出来るんだからさ~……。
ま、この辺りはそんなふうに町内会ボランティアの睨み(?)が効いているので、安心して子供連れで来れる、という人も多いんだけど。
せっかく綺麗な花を見に来てるんだから、綺麗に愉しんで綺麗に帰ってもらいたいと思う。桜の精は老人だというから、<目上>に敬意を表すのも悪くはないと思うんだが。
・四月七日 散る花に・
朝は桜吹雪、夕方は桜の絨毯。
満開だった桜が、散っていく。レインコートを着けたグレートデンの伝さんの、濡れた鼻の頭にひとひら、薄いピンクの花びら。
飼い主の吉井さんは花冷えで風邪気味とかで、ここ数日、朝夕は伝さんの散歩が俺の仕事だ。
散る桜、残る桜も散る桜
今日は戦艦大和が轟沈した日だ。散り敷く桜の花びらを見ていたら、ふと、そんなことを思い出した。
散る桜 花びら海まで流れて行くか
花は散れども 木は残り
花を咲かせる 千代に八千代に
・四月九日 結婚指輪・
桜は着々と衣替え。まだまだピンクの方が多いかな。それもこの雨で大方散ってしまうだろうけど。
そう、雨。普通なら、よほどでなければ外を歩きたくないほどの。
なのに、何で今、俺が雨合羽を着こんでこんなふうに桜の根方を這いずり回っているのかというと、知り合いの水沢さんから落し物探しの依頼を受けたからだ。花見の宴会で楽しくほろ酔いしたのはいいが、結婚指輪を落としてしまったのだという。
しょげてたなぁ、水沢さん。
自分でも探したが、どうしても見つけられなかったという。それで、この公園を熟知している(と、水沢さんは認識している)何でも屋の俺に、望みを託すことにしたというのだ。
正直に奥さんに謝ればいいのに……春の花の、かわいい花束でも贈ってさ。
ああ、桜の花衣が水の裳裾を引いている。地面に落ちた花の花見もオツなもんだ、ということにしておこう。……冷えてきたな。
ん? ピンク色にうもれてるけど、あの銀色の光は?
──やれやれ。これで家に帰れそうだ。
・四月十日 雨中の指輪探しで風邪引き・
げほ。ごほごほごほ。
がぜをびいてじばった(風邪を引いてしまった)。
やっぱり、アレが原因だな。昨日の依頼。大雨の中の指輪探し。……水沢さん、夫婦喧嘩なんかしたら、許さないからな! 俺が身体を張って探し出した結婚指輪、二度と落とすんじゃないぞ。
もっとも、奥さんにはバレバレだったらしいけど。
あー、くしゃみ、鼻水、鼻づまり。ぐるじい。
でも、仕事行かなきゃ。今回はそんなに熱出てないし重症じゃないし、葱を刻み込んだあったかい味噌味おじやも作って食べた。お陰で、全身がほかほかだ。大丈夫。俺は元気だ。よし、総合感冒薬を服んで、いざ!
うさにゃん(近所のアーケード商店街のマスコットだ)の着ぐるみ、重たいな……。
春の売り出しセールのイベントで、奥様方に割引クーポン券を配ったりしないといけないんだけど、着ぐるみは重いし動きにくいし、オーバーアクションぎみに動かないとサマにならないし。
ののか! パパ、頑張るからね!
もうすぐ、別れた妻に引き取られた娘との月に一度の面会日だ。寝込んでなんかいられない。
ファイト! 俺!
※新型コロナの影も形も無い頃の話ですので、ご容赦を。
夜桜が綺麗だ。
昼ももちろん綺麗だった。淡い、まさに桜色の霞か雲か。音もなく風に揺れるさまは、うす曇りの空に溶けていくかのようで。
あー、桜の根元で一日ぼーっと場所取りをしてたら、俺みたいなのでも詩人になれそうだ。これ以上じっとしてたら、俳人にもなれるかも。などとらちも無いことを考えていたら、ようやく花見の場所取りを依頼してきた人がやってきた。その後ろから、花見弁当やら酒やらが入っているんであろう袋をいっぱい抱えた男女が続く。
これでようやくここから離れられる。朝早くから暗くなるまで、ほんっとうに長かった。ま、ちびちびと日本酒を舐めながらの独り花見は、役得だったかもしれない。
けど、身体が冷えたかな。ちょいと寒気がして不穏な感じ。うーん、日当も良かったことだし、早く帰って熱燗でもつけようか。
……昼食がわりのアンパンの残りじゃ、酒には合わないな。コンビニでソフトさきいかでも買って帰るか。「肴は炙った烏賊でいい」とか渋くキメてみたいところだが、カッコつけてもしょうがない、所詮はバツイチ独り者。
ののか、パパ、寂しいよ。満開の桜を見てたら、何だか寂しくなっちゃったよ。……明日、元妻のところに電話だけでもしてみるか。
・四月六日 桜の下で町内会有志とゴミ拾い・
取っていいのは写真だけ。
残していいのは思い出だけ。
確か、登山者のための標語だったと思うが、花見客にも当てはまると思う。
昨日、今日は桜の満開が当たった土日。近所の花見スポットも、やたらと人出が多かった。露店が出るほどの規模ではないが、知る人ぞ知るで遠方から来る人も少なくない。
で、少数とはいえ、いるんだな。狼藉を働く者が。
枝を折るな。幹を傷つけるな。ゴミを撒き散らすな。……その辺で立小便するな。小さくても、清潔なトイレがあるんだから。
今日は、何でも屋の仕事ではない。町内会の有志によるゴミ拾いとパトロールに参加している。
宴会に浮かれていても、さすがにすぐ横でゴミ拾いをされたら、捨てにくくなるものらしい。ゴミ袋を持ってうろうろしていると、皆そそくさと弁当のカラだのビールの空き缶だのを元入っていたコンビニ袋などに仕舞い始める。
やれば出来るんだからさ~……。
ま、この辺りはそんなふうに町内会ボランティアの睨み(?)が効いているので、安心して子供連れで来れる、という人も多いんだけど。
せっかく綺麗な花を見に来てるんだから、綺麗に愉しんで綺麗に帰ってもらいたいと思う。桜の精は老人だというから、<目上>に敬意を表すのも悪くはないと思うんだが。
・四月七日 散る花に・
朝は桜吹雪、夕方は桜の絨毯。
満開だった桜が、散っていく。レインコートを着けたグレートデンの伝さんの、濡れた鼻の頭にひとひら、薄いピンクの花びら。
飼い主の吉井さんは花冷えで風邪気味とかで、ここ数日、朝夕は伝さんの散歩が俺の仕事だ。
散る桜、残る桜も散る桜
今日は戦艦大和が轟沈した日だ。散り敷く桜の花びらを見ていたら、ふと、そんなことを思い出した。
散る桜 花びら海まで流れて行くか
花は散れども 木は残り
花を咲かせる 千代に八千代に
・四月九日 結婚指輪・
桜は着々と衣替え。まだまだピンクの方が多いかな。それもこの雨で大方散ってしまうだろうけど。
そう、雨。普通なら、よほどでなければ外を歩きたくないほどの。
なのに、何で今、俺が雨合羽を着こんでこんなふうに桜の根方を這いずり回っているのかというと、知り合いの水沢さんから落し物探しの依頼を受けたからだ。花見の宴会で楽しくほろ酔いしたのはいいが、結婚指輪を落としてしまったのだという。
しょげてたなぁ、水沢さん。
自分でも探したが、どうしても見つけられなかったという。それで、この公園を熟知している(と、水沢さんは認識している)何でも屋の俺に、望みを託すことにしたというのだ。
正直に奥さんに謝ればいいのに……春の花の、かわいい花束でも贈ってさ。
ああ、桜の花衣が水の裳裾を引いている。地面に落ちた花の花見もオツなもんだ、ということにしておこう。……冷えてきたな。
ん? ピンク色にうもれてるけど、あの銀色の光は?
──やれやれ。これで家に帰れそうだ。
・四月十日 雨中の指輪探しで風邪引き・
げほ。ごほごほごほ。
がぜをびいてじばった(風邪を引いてしまった)。
やっぱり、アレが原因だな。昨日の依頼。大雨の中の指輪探し。……水沢さん、夫婦喧嘩なんかしたら、許さないからな! 俺が身体を張って探し出した結婚指輪、二度と落とすんじゃないぞ。
もっとも、奥さんにはバレバレだったらしいけど。
あー、くしゃみ、鼻水、鼻づまり。ぐるじい。
でも、仕事行かなきゃ。今回はそんなに熱出てないし重症じゃないし、葱を刻み込んだあったかい味噌味おじやも作って食べた。お陰で、全身がほかほかだ。大丈夫。俺は元気だ。よし、総合感冒薬を服んで、いざ!
うさにゃん(近所のアーケード商店街のマスコットだ)の着ぐるみ、重たいな……。
春の売り出しセールのイベントで、奥様方に割引クーポン券を配ったりしないといけないんだけど、着ぐるみは重いし動きにくいし、オーバーアクションぎみに動かないとサマにならないし。
ののか! パパ、頑張るからね!
もうすぐ、別れた妻に引き取られた娘との月に一度の面会日だ。寝込んでなんかいられない。
ファイト! 俺!
※新型コロナの影も形も無い頃の話ですので、ご容赦を。