第117話 携帯電話の恐怖 1

文字数 2,451文字

・ある日の<俺>2008年9月25日 携帯電話の恐怖・


初めて買った携帯電話が、怖い。

すずかけ荘の住人、野本君が言った。

すずかけ荘とは、平成の世に、よくぞこんな建物が! な、木造二階建てアパートだ。学生・独身者向けで、風呂ナシ、トイレ共同。一階と二階合わせて六畳一間の部屋が八室と、角部屋で少し広い八畳の部屋が二室で、全十室ある。

レトロすぎるこのアパート、恐ろしいことに(?)一室除いてその全てが埋まっているらしい。

大家さんは、アパートの隣のこれまた古びた木造の、こぢんまりした家に住んでいる。建物と建物の間には猫の額ほどの庭があって、桜と楓の木が植えられてあった。

桜は、花見の頃はいいが、葉桜になってくるとやはり毛虫が湧くらしい。「洗濯物についてたことがあって、気絶しそうになりました」……そう話してくれた野本君は、現在大学三回生。就活に向けて、このほど携帯電話を持つことにしたらしいのだが。

「ケータイが怖いって、どうして? 使い方が分からないなら、同じ機種を持ってる人を探して、聞いてみたら?」

「いや、そういうんじゃなくて……」

野本君は雑草の根っこをちまちまとむしっている。狭いくせに草ぼうぼうの中庭の草むしりを大家さんから依頼されたのは俺なんだが、顔見知りの野本君が何故か手伝ってくれているのだ。

「もしかして、電話は掛けられるけど、切り方が分からないとか?」

恥ずかしながら、それは自分のことだ。初めて携帯電話を持った時、記念すべき初電話を妻に掛けたはいいが、通話を終えた後、どうやって切っていいのか分からず、道行く兄ちゃんを捕まえて、「ど、どこを押したら電話切れるんですか?」と必死の形相で訊ねたものだ。……何とかプランとかよく分からなかったから、電話代がコワかったんだよ。

「いえ。取り扱いマニュアルは一晩かけて熟読したので、操作上の不安は無いです……」

さっくり答えてくれる野本君。

う。

「そ、そうだよね。電話の切り方が分からないなんてこと、ないよね。うん!」

あはは~! と思わず笑って誤魔化す俺。
どーせ俺は機械オンチですよ。トリセツだってちんぷんかんぷんでしたよ。ふーんだ!

……ダメだ、俺。いいトシして拗ねちゃ。しかも、相手はまだハタチの若者じゃないか。気を取り直そう。

「携帯本体が問題じゃないっていうなら、あれかな、変な電話が掛かってくるとか?」

非通知で着信一秒とか、どっから番号手に入れたんだか何かの勧誘電話とか、オレオレ詐欺系とか。

俺の携帯にも妙なのが掛かってくることがあるけど、非通知は無視するし、勧誘はすぐ切るし、オレオレ詐欺系は今のところ経験したことはない。「何でも屋」という仕事柄、知らない番号だろうと出ないわけにはいかないけど、その分、妙な電話のスルー・スキルは上がったかも。

「変な電話っていうか……」

野本君は言いよどんだ。

「うん?」

だからどうした。早く答えるんだ、野本君。そこまで根っこを掘り出さなくていいから。

「間違い電話、だと思うんですけど……」

ひげ根まで引っこ抜きながら、野本君は話し始めた。

「なんかね、しょっちゅう掛かってくるんですよ。『オダさんですか?』って」

「オダ? 何だ、そりゃ」

ノモトとオダ。似ても似つかないじゃないか。

「最初は、以前この番号を使ってたその『オダさん』の知り合いが、解約だか変更だかで番号が変わったのを知らずに掛けて来るのかな、と思ってたんですけど……」

「え? 携帯の番号って、何年か塩漬け? にしておくんじゃなかったっけ」

変更された番号はすぐに次に回さず、三年くらいは眠らせておくって聞いたような気が……。

「そうだと思うんですけど……」

「しょっちゅう掛かってくるって、どれくらいの頻度で?」

「ひどい時は、一日に三回くらいかな。でなくても、週に二回くらいは必ず掛かってきます」

「同じ人間?」

「分からないです。声だけだし。いつもだいたい、人違いです! って言って、すぐ切っちゃうし」

最初の頃は、そのオダさんて方、携帯の番号を変えたんだと思いますよ、っていちいち答えてたんですけどね、と野本君は溜息をつく。

「そりゃあ、気持ち悪いなぁ」

「そうでしょう? この間なんか、もっと気持ち悪かったです……」

「いきなり、金返せ、とか言われたとか?」

そのオダってやつは、闇金とか、そういうヤバいところから金を借りてたんじゃなかろうか。

「ある意味、そういうことなのかもしれないけど……」

続く話を聞いて、俺もゾッとした。

何と、野本君が生活費を引き出そうとATMの前に立ったとたん携帯が鳴って、「オダさんですよね?」と聞かれたというのだ。

「そ、それってヤバイんじゃあ?」

いつの間にか、草むしりの手が止まってしまってる。それにも気づかず、俺は声を潜めて叫ぶ、という芸当をやってのけていた(ってほどじゃないけど)。

「ヤバイですよね……?」

──自分たちが悪いことをしてるわけでもないのに、ひそひそ声になってしまうのは何故だろう。

「あのさ、野本君。誰かにつけられたりしてないか? 家に帰る途中とか、怪しい人影を見なかった?」

そう訊ねつつ、俺は思わず周囲を見回した。むしった草を握ったまましゃがみこんだ俺たちの目の前にはアパート、背後には大家さんの家。桜は道に面し、草ぼうぼうの庭を挟んで反対側に楓。楓の向うは隣家の生垣だ。あの生垣は猫ですら通れないほど密生してる。

桜とアパートの入り口が面している道は、意外と人通りがある。今も、自転車のカゴにトイレットペーパー、ハンドルに食料品の入ってるらしき袋を引っ掛けたたくましい奥様が、ペダルを漕いでいくところだった。歩いてほんの五分程度のところに、商店街があるのだ。

とりあえず、今は妙な人影は見当たらない。俺はほっとした。
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