第168話 ジグソーパズルとマスオさん 1
文字数 2,113文字
堆く積もるピースの山を見て、俺は溜息をかみ殺した。どれもこれも同じような色、同じような形。違いが分からん。
「四隅から作るのがコツだって、聞いてはいるんですけどね……」
目の前で呟く池本さんの顔色は、青い。三千ピースのジグソーパズル、二人がかりで合わせ始めて、やっと達成率二十パーセント。本日の俺の仕事は、彼と一緒にこのジグソーパズルを完成することだ。
「何でこれ、ちょっと落っこちただけで全部崩れちゃったかなぁ……」
「……」
俺は何とも答えられず、ただひたすらオペラ・ガルニエを完成させるために神経を集中させる。ええい、どのピースを見ても琥珀色の濃淡にしか見えん!
俺だって聞きたいよ。これだけの労作、何でちゃんとした額に入れて飾っておかなかったんだ。
しばらくまた黙々と作業を続ける。壁の時計の秒針の音だけが響く。
そして俺は今、二つのピースを手に持って真剣に悩んでいた。これは、琥珀色の柱の上か下か、それとも天井なのか床なのか。こんな小さな欠片だけじゃあ、全然分からない。思わず挫けそうになる。
いや。
負けるな俺。頑張れ俺。根気勝負は得意なはずじゃないか。根気が無ければ家出猫を探したり出来ないし、迷い犬を見つけたり出来ないし、それに、脱走九官鳥だって捕まえられない。俺はこれまで根気をもって依頼主の期待に応えてきた。そう、俺には出来る! Yes! I can!
黙々黙。黙々黙。
秒針の音に追いかけられながら、ひたすらピースを合わせる俺と池本さん。……俺、今なら三月ウサギになれるかもしれない。そんで、忙しい、忙しいとか言いながら、不思議の国に逃げてしまいたい。
そんなバカなことを考えながら、薄い琥珀色と濃い琥珀色、その中間の琥珀色を見比べる俺。見本によると、これはこの辺かな? ああ、目がチカチカしてきた。池本さんも同じらしく、上を向いて瞼を揉んだりしている。
「ちょっと休憩しませんか……」
声がへろへろだよ。大丈夫か、池本さん。
「そ、そですね……」
俺もだ……ずっと黙って下向いてたからか、声に力が入らない。でも、その甲斐あってか、達成率が五十パーセントに近くなってきたぞ。あと一息だ! と、その前に、やっぱり休憩しよう。
池本さんが紅茶を淹れてくれた。立ち上る薄い湯気を眺めながら、無言でカップの中身を啜る。
「で、お義父さんはいつ戻られるんですか?」
「明日の昼って言ってたかな……」
「このペースなら、間に合いそうですね」
池本さんはこっくり頷いた。
「独りだったらとてもここまで頑張れなかったよ。何でも屋さんに来てもらって、良かった」
「俺だって自分独りだけだったら挫折してますよ」
ははは、と二人の男の乾いた笑いがハモッってしまった。
「ですよねぇ……でも、義父はこれが好きで……」
アンビリーバボーですよ、と池本さんは肩を落とす。
「俺はこういうの、大っ嫌いなのに……」
はぁ、と重い溜息をついて、彼は立てた膝に顔を埋めてしまった。相当参っているようだ。俺だって疲れてるけど、俺に取ってはこれ「仕事」だからな、お金もらえるし。人参があるから頑張れる馬っていうか。
「もう、正直に言ってしまったらどうですか?」
俺は提案してみた。
「お義父さんのパズル、うっかり崩してしまいましたって。誠心誠意をこめて謝ったら、許してもらえるんじゃ?」
「ダメです!」
首をぶんぶん振る池本さん。
「義父は、ジグソー仲間を増やしたがってるんです。崩してしまいましたごめんなさい、なんて謝ったが最後、じゃあ一緒に組みなおそうか! なんて言われて、なし崩しに仲間に加えられるのが目に見えてる……!」
握った手が震えてるよ、池本さん。
大丈夫か?
「そんな大袈裟な。ゾンビとかバイオハザードじゃないんだから」
思わず苦笑すると、池本さんは真顔でまた首を振った。
ムチウチになるよ……?
「いーや、全然大袈裟じゃないです! 娘が全然興味示さなかったからって、婿の俺に期待してるのが丸分かりっていうか、もう。子供と一緒に一万ピースの大作をやるのが夢だったって、義母からも聞いてるし」
「はぁ……」
「義父が次に始めようとしてるの、ピーターブリューゲルの『バベルの塔』五千ピースなんですよ。そんなの一緒にやらされたら、俺……」
『バベルの塔』って、うろ覚えだけど、かなりな大作だったような……? あれも似たような色が多かったような気がする。で、五千ピース?
「うーん……」
思わず俺は唸ってしまった。好きな人には楽しいんだろうけど、そうでない人間にとったら拷問だと思う。
「嫌でしょ? 五千ピースですよ。こういうビスケットの出来損ないみたいなのが五千個もあるんですよ」
「確かに。考えるのも嫌っていうか」
「でしょ? でしょ? お義父さんがひとりで好きでやってるだけなら、どうぞどうぞお好きにどうぞ! てなもんですけど、付き合わされるのは困ります。在宅で仕事やってるからってそう簡単に時間が自由になるわけじゃないんですからね」
「四隅から作るのがコツだって、聞いてはいるんですけどね……」
目の前で呟く池本さんの顔色は、青い。三千ピースのジグソーパズル、二人がかりで合わせ始めて、やっと達成率二十パーセント。本日の俺の仕事は、彼と一緒にこのジグソーパズルを完成することだ。
「何でこれ、ちょっと落っこちただけで全部崩れちゃったかなぁ……」
「……」
俺は何とも答えられず、ただひたすらオペラ・ガルニエを完成させるために神経を集中させる。ええい、どのピースを見ても琥珀色の濃淡にしか見えん!
俺だって聞きたいよ。これだけの労作、何でちゃんとした額に入れて飾っておかなかったんだ。
しばらくまた黙々と作業を続ける。壁の時計の秒針の音だけが響く。
そして俺は今、二つのピースを手に持って真剣に悩んでいた。これは、琥珀色の柱の上か下か、それとも天井なのか床なのか。こんな小さな欠片だけじゃあ、全然分からない。思わず挫けそうになる。
いや。
負けるな俺。頑張れ俺。根気勝負は得意なはずじゃないか。根気が無ければ家出猫を探したり出来ないし、迷い犬を見つけたり出来ないし、それに、脱走九官鳥だって捕まえられない。俺はこれまで根気をもって依頼主の期待に応えてきた。そう、俺には出来る! Yes! I can!
黙々黙。黙々黙。
秒針の音に追いかけられながら、ひたすらピースを合わせる俺と池本さん。……俺、今なら三月ウサギになれるかもしれない。そんで、忙しい、忙しいとか言いながら、不思議の国に逃げてしまいたい。
そんなバカなことを考えながら、薄い琥珀色と濃い琥珀色、その中間の琥珀色を見比べる俺。見本によると、これはこの辺かな? ああ、目がチカチカしてきた。池本さんも同じらしく、上を向いて瞼を揉んだりしている。
「ちょっと休憩しませんか……」
声がへろへろだよ。大丈夫か、池本さん。
「そ、そですね……」
俺もだ……ずっと黙って下向いてたからか、声に力が入らない。でも、その甲斐あってか、達成率が五十パーセントに近くなってきたぞ。あと一息だ! と、その前に、やっぱり休憩しよう。
池本さんが紅茶を淹れてくれた。立ち上る薄い湯気を眺めながら、無言でカップの中身を啜る。
「で、お義父さんはいつ戻られるんですか?」
「明日の昼って言ってたかな……」
「このペースなら、間に合いそうですね」
池本さんはこっくり頷いた。
「独りだったらとてもここまで頑張れなかったよ。何でも屋さんに来てもらって、良かった」
「俺だって自分独りだけだったら挫折してますよ」
ははは、と二人の男の乾いた笑いがハモッってしまった。
「ですよねぇ……でも、義父はこれが好きで……」
アンビリーバボーですよ、と池本さんは肩を落とす。
「俺はこういうの、大っ嫌いなのに……」
はぁ、と重い溜息をついて、彼は立てた膝に顔を埋めてしまった。相当参っているようだ。俺だって疲れてるけど、俺に取ってはこれ「仕事」だからな、お金もらえるし。人参があるから頑張れる馬っていうか。
「もう、正直に言ってしまったらどうですか?」
俺は提案してみた。
「お義父さんのパズル、うっかり崩してしまいましたって。誠心誠意をこめて謝ったら、許してもらえるんじゃ?」
「ダメです!」
首をぶんぶん振る池本さん。
「義父は、ジグソー仲間を増やしたがってるんです。崩してしまいましたごめんなさい、なんて謝ったが最後、じゃあ一緒に組みなおそうか! なんて言われて、なし崩しに仲間に加えられるのが目に見えてる……!」
握った手が震えてるよ、池本さん。
大丈夫か?
「そんな大袈裟な。ゾンビとかバイオハザードじゃないんだから」
思わず苦笑すると、池本さんは真顔でまた首を振った。
ムチウチになるよ……?
「いーや、全然大袈裟じゃないです! 娘が全然興味示さなかったからって、婿の俺に期待してるのが丸分かりっていうか、もう。子供と一緒に一万ピースの大作をやるのが夢だったって、義母からも聞いてるし」
「はぁ……」
「義父が次に始めようとしてるの、ピーターブリューゲルの『バベルの塔』五千ピースなんですよ。そんなの一緒にやらされたら、俺……」
『バベルの塔』って、うろ覚えだけど、かなりな大作だったような……? あれも似たような色が多かったような気がする。で、五千ピース?
「うーん……」
思わず俺は唸ってしまった。好きな人には楽しいんだろうけど、そうでない人間にとったら拷問だと思う。
「嫌でしょ? 五千ピースですよ。こういうビスケットの出来損ないみたいなのが五千個もあるんですよ」
「確かに。考えるのも嫌っていうか」
「でしょ? でしょ? お義父さんがひとりで好きでやってるだけなら、どうぞどうぞお好きにどうぞ! てなもんですけど、付き合わされるのは困ります。在宅で仕事やってるからってそう簡単に時間が自由になるわけじゃないんですからね」