第68話 サンフラワーとサンフィッシュ

文字数 3,567文字


再び訪れた静寂の中、俺は真っ黒になった画面をただ凝視していた。

画像が消える直前、深い深い青色の世界にゆったりと泳ぎ去ったマンボウ。
そうか、海面では横になっていても、海中では普通に泳いでるんだな。斜めになってたけど。

ああ、そうだ、弟はもしかしたら今頃、マンボウになってどこかの海に浮かんで、ぷかぷかと日向ぼっこしているのかもしれない。

うっかり、そんなメルヘンなことを考えてしまった。

太陽の魚は、月の魚。
太陽の魚は、お日様が好きだと思う?

その質問をしたのは芙蓉と葵。
それから、<風見鶏>。

芙蓉と葵がそれを言ったのはただの思わせぶりだったけど、<風見鶏>は違う。

<風見鶏>自身が弟の協力者なんじゃないかって、本人に訊ねた時、<風見鶏>は言ったんだ。その質問に答えられたら教えてあげる、と。

今なら、答えられる。
太陽の魚は、お日様のことが……。

と、その時。携帯に<風見鶏>からの着信が入った。何故分かるのかというと、彼からの着信の場合、毎回俺が設定した覚えのない着メロが流れるからだ。今回のメロディは、レクイエム。……モーツァルトのこの曲、暗いから俺は嫌いだ。

『会えたか? 君の半身に』

開口一番、<風見鶏>はそう言った。
何でこいつはいつもタイミングが絶妙なんだ? 実はどこかに隠しカメラでも仕掛けてあるのか? だとしたら……趣味が悪い。

「会えたよ」

ムッとした俺は、素っ気無く答える。そうか、と<風見鶏>は静かに呟いた。

「──あんたのなぞなぞ」

ぼそりと続ける俺に、<風見鶏>が不思議そうな声で応じる。

『なぞなぞ?』

「太陽の魚は、お日様が好きだと思う? ってやつだよ」

『ああ……』

<風見鶏>がくすりと笑う気配がした。

『解けたのかな?』

ふん。俺は鼻で笑ってやった。

「<俺>は確かにお日様が好きだよ。ついでに、お月様も好きだ。星も好きだし、雨も雪も風も好きだ。けど、地震と雷と火事と……クールすぎるオヤジは嫌いかな」

携帯のむこうで、<風見鶏>がくくくっと笑うのが聞こえた。クールすぎるオヤジかぁ、と何やら感心しているようだ。

あんたのことだよ、分かってんのか、機を見るに敏すぎる<風見鶏>め。俺は心の中で毒づいた。

もっとも、彼がオヤジな年齢なのかどうか俺は知らない。もしかしたら、俺よりずっと若かったりして。

そんなことを考えていると、笑いを含んだままの声で<風見鶏>は言った。

『太陽の魚、つまり、マンボウが君自身のことだって、気づいたんだね』

この謎かけ、分からないと思ったんだけどなぁ、と面白そうに続ける。そこまでニブくなかったのか、良かったね、って。失礼なヤツめ!

「誰がマンボウだよ。どいつもこいつも、人をうっかりぼんやりのんき者みたいに言いやがって……!」

『ん? じゃあアルバトロスの方が良かったかい?』

「誰がアホウドリだよ!」

『なら、うっかり八兵衛?』

「……」

どこまで行くんだ、<風見鶏>。俺は呆れた。
しかし……<うっかり八兵衛>の方がまだ人間なだけマシか?

「もういいよ、好きなように呼んでくれ……」

脱力しつつ、俺は答える。せめて<風車の弥七>くらい言われたいものだが……俺もさすがに己を知ってるというか、それは許されないような気がした。

「弟のパートナーが誰なのかは、あんたに教えてもらうまでもなく分かったよ」

不機嫌を隠さずに言うと、また<風見鶏>の笑う気配がした。

『ふふ。びっくりしただろう?』

「ああ、びっくりしたね」

ふん。悪いかよ。こんな形で知ったら、誰だってびっくりするわ。

「今俺が知りたいのは、あんたとあいつの関係だ、<風見鶏>」

開き直った俺は、直球で訊ねた。

『えーっと、同業者?』

会ったこともない<風見鶏>のやつが、携帯の向こうで小首を傾げている姿が見えるような気がする。何だ、その語尾上げイントネーションは。

ええい、そんな仕草が似合うのは、ののかや夏樹みたいな穢れのない、いとけない子供だけだ。いい大人が可愛い子ぶるんじゃねぇ!

ムッとしながら、俺は答える。

「俺に聞いてどうするんだ? 訊ねてるのはこっちだぞ?」

やつのくすくす笑いが、耳元で弾ける。けっ!

『ごめん、ごめん。同業者みたいなものだよ。そうとしか答えようが無い』

「何だか良く分からないけど、協力しあってる、んだよな?」

『うん、まあ、そうだね』

「親しいのか?」

んー、と<風見鶏>ははっきりしない声を上げた。

『どうなんだろう。親しいというより、利害が一致することが多いっていう方が近いかな。晴れ時々曇りな情報融通し合って天気晴朗なれど波高し、みたいな?』

何じゃ、そりゃ。バルチック艦隊と戦うのか、今更。

「俺があいつと友だちだって知ってて、俺に近づいたのか?」

『ああ、君がブラクラ喰らって焦って助けを求めた時のこと?』

「……そうだ」

俺は不承不承(ふしょうぶしょう)肯定した。情けないが、いきなりブラウザの窓がバババババッと開いた時の恐怖は、なかなか忘れられるものではない。

『それは本当に偶然だよ』

「そうなのか?」

『うん。その後、君について調べた時、あの彼の二度目の大学時代の友人だと知って、びっくりした」

こともなげにしれっと答える<風見鶏>に、俺は軽く殺意を覚えた。勝手に人のこと調べて、当たり前みたいに言うな、バカ!

『でも、もっとびっくりしたのは』

「びっくりしたのは?」

『今回、いきなり<サンフラワー>からコンタクトがあったことかな』

さらっと<風見鶏>は言った。
今、このタイミングで<サンフラワー>っていうと。

「……もしかして、あんたが<風見鶏>なように、あいつは<サンフラワー>なのか?」

恐る恐る訊ねる俺に、<風見鶏>がまたくすっと笑う気配がした。

『ご名答』

簡単に答えてくれるなぁ……。
サンフラワーって。高橋英樹が船長で、船越英一郎が一等航海士なあれか? 何度も再放送やってるけど。いや、あれだと平仮名で「さんふらわぁ」か。

俺がそんなおバカなことを考えていると、<風見鶏>が続けた。

『もちろん、彼も別の名前を沢山持っているはずだよ。ただ、同業者のあいだでは<サンフラワー>で通っている』

サンフラワー。つまり、ひまわり。
まさか、俺が大学時代に付けたあだ名「ひまわり荘の変人」から取ったわけではない、よな? そう信じたい……。

「えっと、つまり、その、だな。<サンフラワー>もあんたと同じく<ウォッチャー>というわけか?」

『そうだね。けれど、彼は<ウォッチャー>の中でも特別な存在だ。僕なんか足元にも及ばない』

「……」

良くわからんが、あいつって凄かったのか……ただの道楽坊ちゃんな変人じゃなかったんだな。

何だかもう、想像したことも無いようなことを次々聞かされて、俺は口から魂が抜けて行きそうな気分になった。

『彼が<サンフラワー>で、君はマンボウ、つまり<サンフィッシュ>。これって偶然?』

面白おかしく揶揄するように言う<風見鶏>。
そんなん、俺が知るか!

俺の周りにいるのって、どうしてこんな性格の悪いやつばっかりなんだろう……。

「俺のことをマンボウなんて言うの、あんただけだろ」

俺はつい嘘をついてしまった。
弟にも言われたのに、兄さんはマンボウに似てるって。

だけど、それを認めるのはまた別の問題だ。ってゆーか、認めてたまるか!

『そう?』

楽しそうな返事が返ってくる。

「そうだよ!」

つい、力んでしまった。さっきまで俺の見ていた弟からのメッセージ、まさか<風見鶏>も見ていたわけじゃないよな?

それを探るべく、俺は何食わぬふりをして探りを入れてみた。

「と、ところでいやにタイミング良く携帯を鳴らしてくれたけど、なんでだ?」

『今、多分君の目の前にあるパソコンが、機能を停止したからだよ。自己破壊プログラムが作動した後の、完了の信号を受けたんだ』

「そ、そうなのか……」

良く分からないが、やっぱり『スパイ大作戦』みたいだ。

「なあ、聞いていいか?」

『どうぞ。君の聞きたいことにだけ答えてあげる。前にもそう言ったよね』

そう、そうだった。まだ芙蓉と葵の行方が分からなかった時、彼らを捜すための協力を求めた俺に<風見鶏>はそう言った。あれからまだ一日かせいぜい二日しか経っていないのに、もう一年も前のことのように思える。

「何であんたは素直にその……<サンフラワー>に協力してるんだ?」
  
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