第354話 昏きより 6
文字数 2,150文字
「暗い」
ぽつり、と声が出た。
朝は五時前。この季節、朝日の気配すらない。
でも、カーテン越しの街灯の明かりは見える。身体も動くから、これは夢ではなくて普通に目が覚めてるんだろう。
「変な夢、見たな……」
何だったんだろう、あれ。“陽狩りの玉”だって、字面が物騒……。
枕に頭をつけたまま、脇の下に入り込んでる居候の三毛猫の背中を撫でている。ごろごろ、ごろごろ。あったかいとこでは機嫌いいよな、お前……。
もうちょっと寝たいな、なんて思いながらうつらうつら。携帯のアラームはまだ鳴らない。
──天照らす陽の光を追いかけて狩りもうした
変なこと言ってたな。太陽の光なんか追いかけても、捕まえられるわけないじゃん。
──狩っても集めても すぐに散るすぐに散る
お日様の光は、追いかけたり狩ったりするものじゃない。浴びるものだ! ふ、俺いいこと言った。
──すべて集めて玉にして 吾のものにできたなら
──狩らねば暗い ああ昏い
──暗いから狩る 陽を狩る
なんか……よっぽど暗いところにいるんだな。そんなふうに思いつめるほど……。
──亡者にひとつ陽の玉を 亡者にひとつ光の玉を
……? 亡者って、死んでなお成仏出来ずに六道の辻をさ迷うという、あの亡者のこと……?
成仏出来ない魂に、陽の玉光の玉とかどういう意味だろう、そう思ったとき、頭の中を知らない映像が目まぐるしく過っていった。
男は後ろ向きで、いつも物事を悪く考える癖があった。
話しかけてくる者は皆自分の持ち物を狙っているし、笑いかけてくるものは皆自分を嘲っているのだと、そう固く信じ込んでいた。男は臆病だった。
期待したら裏切られる。裏切られるくらいなら、最初から期待しない。裏切られるくらいなら、こちらが先に裏切ってやる。──それは臆病者の理屈だった。
男には損と得しかなかった。誰かの得は男の損で、誰かの損が男の得だった。
そんな考えだから、男は誰かが得をするのを許せなかった。自分が損をするのはもっともっと許せなかった。
損をするのが嫌なら、そのぶん工夫なり努力なりすればいいのに、男はそれも嫌った。工夫が空回りするのを、努力が報われないのを、男は恐れた。自分が動いても何も変わらないかもしれない、そう思うだけで工夫も努力もするだけ無駄に思えた。
現状を変えることを何もしないくせに、創意工夫努力の末上手くやってる誰かを見ると、男はそれが妬ましくて悔しくてたまらなかった。何故なら、誰かが成功するから自分が失敗するのだと男は考えていたからだ。そんなだから、男は誰かの成功が怖くて怖くて仕方なかった。
──自分よりいい思いをしている者がいるから、自分はいつも苦しい。こんなふうに感じさせて平気でいるなんて、なんて酷いやつだろう。苦しめられている自分は可哀想だ。
そのうち、男は自分以外の人間が成功しないよう、他人の足を引っ張り、陥れることを覚えた。
──誰もが自分より下になり、自分より苦しい思いをするようになれば、自分は楽になれる。自分より不幸な者ばかりなら、自分は幸せだ。ああ、そうだ、自分が幸せになるためには、他人を不幸にすればいい。それが正しいことなのだ──。
そして男は他人の足を引っ張り、陥れ続けた。
誰かが泣けば、男は笑った。楽しくなった。自分は何も得られなくても、誰かの得られるはずだったものを自分が邪魔してやったと思えば、うれしくて楽しくてたまらなかった。
そうやって男は何人もの誰かを陥れ、不幸にし、嘆かせた。その嘆きの深さ重さが鎖となり、千人もの人間が地の底に沈んだ時。
その地を治める神により、男は罰を下された。
お前は動きたくないのであろう
男の前に現れた土地神様は言った。
そこから動きたくないのであろう
男は意味がわからなかった。だって、自分は常に他の誰かを陥れるのに忙しく、いつも動き回っている。それなのに、なんでそんなことを言われるんだろう。
場所のことではない
自分が変わりたくないからと、お前は周りを無理やり自分に合わさせている
周りの誰もが当たり前にしている努力を、お前はしていない
いや、自分が幸せになるための努力はしている、今だって忙しい、男は思う。
幸せになるために周りがしている努力を、邪魔するのは何故だ
他のヤツがオレより幸せになったら、俺が不幸になる。だから邪魔するんだ。
周りが幸せになったら、何故お前が不幸になるのだ
お前は何故幸せになるための努力をしない 変わらない
努力が報われないのが嫌だからだ。期待して裏切られるのは嫌だ。十の努力で一しか報われないなど悔しくてたまらない。
一の報いのために百の努力をする者もいる
俺はそんなの嫌だ。百頑張るなら千報われないと頑張る意味がない。
だからといって、何故、努力をしている者を陥れる
俺が報われないのに、そいつが報われるのが悔しいからだ。
しない努力に報いはない
お前は深く根を張った石のようだ
そこから絶対動かないくせに、動く他人の邪魔をする
動かない自分をそのままに、お前は周りを無理やり自分に合わさせている
自分独りだけで好きに動かず朽ちればよいものを
千もの他人を陥れ、それらの魂を自らの嘆きで地の底に沈めるなど
もう見過ごせぬ
お前に罰を与えねばならぬ