第338話 ホラー映画と猫

文字数 893文字

・2月10日 ホラー映画と猫

朝の犬散歩の帰り道。最近この辺に越してきた赤萩さんに会った。

「おはようございます。この時間に出勤ですか?」

そう声を掛けたのは、何だか彼の足取りが覚束ないように見えたせいだ。

「あ……何でも屋さん……」

俺の挨拶に応じてこちらを向いた赤萩さんの目は、どこか虚ろだった。

「何でも屋さーん!」

「ど、どうしたんです、何かあったんですか?」

「俺、俺、呪われたのかもしれない……!」

駅に向かう道を一緒に歩きながら聞いてみると──

この間の休み、赤萩さんはホラーDVDを立て続けに見た。

『ローズマリーの赤ちゃん』
『オーメン』
『悪魔の赤ちゃん』

の三本。得体の知れない赤ちゃんの出てくるホラーばかりだったのは偶然らしいが──

「それ以来、夜になると赤ん坊の声が聞こえてくるんです……! 気のせいだと思いたいのに、昨夜は一晩中聞こえてた。俺、俺は……!」

顔面蒼白な赤萩さん、今にも倒れそう。いや、でもそれはさ。

「それ、赤ちゃんの泣き声じゃないですよ」

俺の言葉に、赤萩さんは自己処理し切れない恐怖感情のあまりか激昂した。

「幻聴だって言いたいんですか!」

「いや、幻聴じゃなくて」

ちょうどその時、赤ちゃんの声に似た声が聞こえてきた。立ち止まり、硬直する赤萩さん。「もうダメだ……俺、取り殺されてしまうんだ……」そんなふうに呟いている。すっかり信じ込んでいるところ悪いけど──。

「あれ、猫の鳴き声ですよ?」

「え? 猫ってにゃーって鳴くんじゃないですか?」

「猫は春になると、っていっても猫の春、つまり発情期のことですけど、その時期の泣き声は人間の赤ちゃんにとても似てるんです」

「あれ、猫の鳴き声……?」

「そうです。ああいうの、今まで聞いたことなかったんですか?」

無かったらしい。真実を知った赤萩さんは呆けたように黙り込んだ。口の中で何かもごもごいうと、彼は足早に駅に向かって去って行った。

真実を知らずにいつまでも怖がっているか、それとも受け入れて安心するか──。すごく複雑そうだったけど、一時恥ずかしい思いをしても<怖い>というストレスを感じなくて済むほうが、ずっと身体にいいと思うよ、赤萩さん。
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