第172話 柏餅の妖精さん 1

文字数 1,519文字

身体が重い。手足が自由に動かない。

それにしても、ああ、なんて暑いんだろう。視界には白く紗がかかり、物がぼんやりとしか見えない。吐く息が苦しい。足が縺れそうだ。

「……大丈夫?」

小さい声で訊ねられるのに、俺は大袈裟に上体を前に倒し、頷く仕草をした。

何故なら、今の俺は<柏餅の妖精さん>だ。こんなところでヘタって、ちびっ子の夢を壊すわけにはいかないではないか。

「かしわもちのようせいさん、かしわもちください!」

元気なちびっ子の声がする。その後ろにはお母さんかな? とにかく、今の俺には目の前がはっきり見えないんだ、白いシーツのせいで。

商店街のこどもの日イベントで、<柏餅の妖精さん>に扮するのが今日の俺の仕事だ。柏餅着ぐるみは、布団と寝具の「松や布団店」ご主人渾身の作だ。薄い夏蒲団を二つ折りにしたものがベース。着用した時、顔にあたる部分は白くて薄いシーツで覆い、布団で窒息しないようになっている。足には白タイツ、腕には日よけ用の白長手袋。これに、濃い緑色の硬めの布地で作った<柏の葉>をあしらってある。

なんとも言えないチープな着ぐるみだけど、「最低の予算でそこそこの成果を!」というのが今回のイベントのコンセプトらしいので、何でも屋の仕事でその着ぐるみを着るだけの俺には何も言えない。

シーツは薄いから、周囲が全く見えないわけではないけど、見えにくい。当たり前だけど。

とにかく今は来てくれたちびっ子だ。俺は頑張って「来てくれてありがとう!」の踊りをする。……声なんか出したら台無しだからな。

相方の羽田さんが、ちびっ子のお母さんからレシートを預かって確認する。羽田さんは商店街の和菓子屋「戎橋心斎堂」のご主人だ。子供の日である本日、商店街で千円分のお買い物をしてくれた人には、「戎橋心斎堂」の柏餅をひとつプレゼント、というのが商店街の催し。ちなみに、二千円だと柏餅は三個になる。

羽田さんかが渡してくれた柏餅を、大袈裟な動きでちびっ子の手に持たせる。小さな三角形の紙袋に入ったそれは、子供の手にも持ちやすいだろう。

「かしわもちのようせいさん、ありがと!」

よかったわね、とお母さんが言うのに、ちびっ子は何度も頷く。本当にうれしそうだ。俺もうれしくなって、着ぐるみの暑さも忘れて飛び跳ねてみせた。

動くとよけいに暑くなる。そのせいでちょっと目が回りそうになりながら、シーツの目立たない部分に開けた穴からストローを通して塩麦茶を啜りつつ、混みあうほどではないが、途切れなくやって来るお客に柏餅を渡す。中には千円二千円どころか五千円以上の買い物をして、プレゼント柏餅を七つもゲットする人もいた。

商店街としては、多く使ってくれても一人三千円程度だろうなと考えていたので、今回のイベント実行委員長もうれしい悲鳴を上げていた。一万円越えの人も十数人。一週間前から地道にチラシ配りをしていた成果だろうか。

プレゼントの柏餅、足りるかな、と心配しつつも、俺は「戎橋心斎堂」主人考案の<柏餅の妖精さん>の踊りを踊る。その場でゆっくり足踏みしながら、両手を上げたり下げたりゆらゆらさせたりという踊りともいえないものだけど、わりにウケているようだ。主にちびっ子に。

そんなこんなで頑張って、用意していた柏餅もあと僅かになってきた頃、三人組の若者がやってきた。大学生くらいかな? 飲み会でもするのか、酒屋の袋と、惣菜屋の袋、熱々のコロッケの入ってるらしき袋とスナック菓子の入った袋をそれぞれ持っている。

三人分を合わせると、けっこう行きそうだなぁ、と思いながら、俺は<柏餅の妖精さん>らしく全身で挨拶した。
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