第129話 携帯電話の恐怖 13 終
文字数 2,834文字
野本君は釈然としない様子で首を捻るだけだったが、俺は心の中で「ひ~~~!」と悲鳴を上げていた。そ、そいつって、そいつって。ブラックな番号から野本君の携帯にかけたことがあるやつなんじゃあ?
でもって、「般若心経・超重低音バージョン」や「黒板を引っ掻く音のボレロ」、「バイオリン初心者たちによるメドレー(初心者のためのメドレー、ではない。今日初めて弾くような初心者の弾く音を繋ぎ合わせた、とってもゴジラなメドレーらしい)」などを聴いてしまったことがあるに違いない。
わ、話題を逸らそう。
「い、いや、特に意味無いんじゃない? それにしても、野本君作曲の着メロかぁ。いつかグレートになった時のために、俺の携帯にもそれ入れてくれない?」
「グレートって。音楽で食べていけるほどじゃないって分かってるから、就活頑張ったのに」
野本君は俺の苦しい話題転換に何も思わなかったらしい。面白そうに笑いながら自分と俺の携帯を操作して、自作の曲を分けてくれた。ほっ。
「ありがとう。今度、娘にも聴かせてみるよ」
強ばりぎみの表情筋を叱咤して、無理矢理笑顔を張り付ける。
<風見鶏>に協力してもらって、ようやく彼の携帯番号をブラックな電話詐欺師たちから守ったんだから、今更無駄に怖がらせたくはないもんな。
そんな俺の心の裡を知るはずもない野本君は、だけどふと遠い目をした。
「ののかちゃんかぁ。今、小一でしたっけ? あー、俺、その頃何聴いてたっけ……将来就活でこんなに苦労するなんて思わなかったよなぁ……」
「そんな十数年後の就職心配する小一なんていないよ。うるとらまんになりたい、とか言ってたんじゃない?」
「いや、おんみつどうしんになりたい、って言ってたらしいです。ししてしかばねひろうものなし! とか叫んでたらしい。絶対意味分かってなかったよなぁ、我ながら」
「……」
野本君の親御さん、息子に何見せてたんだ。
「あ、もうこんな時間だ。じゃ、また。来週から研修とか始まるみたいなんで、がんばらないと。あー、社会人て大変だなぁ。でも、少ないけど給料も出るみたいだし」
「今のところは引っ越したりするのかい?」
「ううん……しないと思う。あそこ、気に入ってるんだ。狭いけど」
窓から花見が出来るってサイコー! と野本君は笑った。
「そうだよな。うん。あそこはいいとこだと思う。じゃあさ、心機一転、携帯変えてみたら?」
「これ?」
野本君はシンプルな携帯を振ってみせる。俺は頷いた。
「無事就職決まったし、さ。それに……」
「あー、今は平和だけど、一時ヤバかったもんな、これ」
「そうそう。新しい門出に、新しい携帯! いいと思うな」
携帯会社の回し者ですか、と野本君は吹き出し、でもすぐに真顔になった。
「うん……。そうだな。そうします。ちょうど明日バイト代入るし、苦しかった就活よ、さらば! って感じで。今度はセキュリティがもっと信用出来る会社のにします。今契約してるとこ、あんまり評判よくないんですよ、実は。顧客情報が漏れたりしてるらしいのに、隠してるしね」
明日さっそく変えてきます、と言う野本君にひらひらと手を振ってみせ、歩き出そうとしたが、俺はふと立ち止まった。これだけは忠告しておいた方がいいだろう。
「あのさ、野本君……」
「え?」
逆光。振り返る影。ああ、ホントに日が落ちるのが早いな。
「さっき言ってた先輩って人に、新しい携帯番号教えない方がいいと思う」
俺の言葉に、野本君はしばらく黙って考えていたようだったが、やがて、そうですね、それがいいのかも、と呟いた。
「それじゃあ……」
軽く会釈して、背を向けかける。が、ふと躊躇うようにまたこちらに向き直った。
「ん? どうかした?」
訊ねる俺に、野本君は改めて深く頭を下げた。
「え、な、何? どうしたんだよ」
「ありがとうございました」
「え?」
「俺の携帯に変なのがかかってこなくなったのは、あなたに相談してからすぐのことだった。何か、してくれたんでしょう?」
「あー、いや、その……」
君に相談された俺は、<風見鶏>に相談したんだよ、なんてこと言えるわけもなく。だってさ、やつとは一応秘密の関係っていうかさ。<風見鶏>みたいなネットの<ウォッチャー>は、その存在の片鱗ですら無関係な人間には知らせたくないだろうし……。
「さすが、何でも屋ですよね。ああいう携帯迷惑電話系にも対応出来るなんて」
いや、いやいやいや。全然対応出来ないから。何でも屋たって、通信系で俺が出来るのは、抜けたモジュラージャックを挿し直すとか、電気屋で同じの買ってきて交換するとか、充電切れの携帯を充電器に繋ぐことくらいですから!
……そういうのでも、お年寄りには需要があるんだよ。
「あのね、野本君……」
「俺、あの時、ホントきつかったんですよ。就活はうまくいかないし、変な電話はいっぱいかかってくるし、誰かに見張られてる感じもしてて怖かったし。だからって、無理して買った携帯を変えるのも金銭的に難しくて」
はあ、と野本君は息をつき、目元を擦った。
「とにかく色々ギリギリだったから、うれしかったです。本当だったら俺、依頼料というか、礼金払わないといけないんだけど、」
「の、野本君、俺、別に何もしてないから! そんなんいらないって!」
俺の必死な声に何を思ったのか、野本君はしばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがて生真面目に頷いた。
「まだ学生だからって、気を遣ってくれるんですね。……俺、あなたみたいな懐の深い人になりたいです」
やめとけ、野本君。夏でも懐は寒いし、リストラされたり離婚したりするぞ、おい。
「初任給もらったら、竹やの上天丼ごちそうさせてくださいね! それと、こんなにいい何でも屋さんがいるって、色んなとこで宣伝しときます!」
一息にそう言うと、野本君は大きく手を振って照れたように走って行った。いや、天麩羅専門店・竹やの上天丼、たしかに美味いけれどもさ……。
「携帯迷惑電話のトラブルは、対応外だからなー!」
小さくなる背中に、俺は力なく叫んでいた。
はあ、やれやれ……。
さらに後日談。
野本君は無事携帯会社と携帯番号を変えた。大学の後期試験の勉強に、就職先の研修にと充実した日々を送っている。
そして、<風見鶏>。
やつは、さすがに抜け目が無いと言おうか……。
野本君の元の携帯番号を“携帯ブラック業者ホイホイ”にし、本業(というものなのだろうか)の<ウォッチャー>の仕事に役立てているらしい。自動応答コンテンツ? をさらに増やしたので、そのスジでは人気があるのだとか。
どういうふうに役に立っているのかは知らない。
知りたくも、ない。
『電脳の魔術師と携帯電話』 完
でもって、「般若心経・超重低音バージョン」や「黒板を引っ掻く音のボレロ」、「バイオリン初心者たちによるメドレー(初心者のためのメドレー、ではない。今日初めて弾くような初心者の弾く音を繋ぎ合わせた、とってもゴジラなメドレーらしい)」などを聴いてしまったことがあるに違いない。
わ、話題を逸らそう。
「い、いや、特に意味無いんじゃない? それにしても、野本君作曲の着メロかぁ。いつかグレートになった時のために、俺の携帯にもそれ入れてくれない?」
「グレートって。音楽で食べていけるほどじゃないって分かってるから、就活頑張ったのに」
野本君は俺の苦しい話題転換に何も思わなかったらしい。面白そうに笑いながら自分と俺の携帯を操作して、自作の曲を分けてくれた。ほっ。
「ありがとう。今度、娘にも聴かせてみるよ」
強ばりぎみの表情筋を叱咤して、無理矢理笑顔を張り付ける。
<風見鶏>に協力してもらって、ようやく彼の携帯番号をブラックな電話詐欺師たちから守ったんだから、今更無駄に怖がらせたくはないもんな。
そんな俺の心の裡を知るはずもない野本君は、だけどふと遠い目をした。
「ののかちゃんかぁ。今、小一でしたっけ? あー、俺、その頃何聴いてたっけ……将来就活でこんなに苦労するなんて思わなかったよなぁ……」
「そんな十数年後の就職心配する小一なんていないよ。うるとらまんになりたい、とか言ってたんじゃない?」
「いや、おんみつどうしんになりたい、って言ってたらしいです。ししてしかばねひろうものなし! とか叫んでたらしい。絶対意味分かってなかったよなぁ、我ながら」
「……」
野本君の親御さん、息子に何見せてたんだ。
「あ、もうこんな時間だ。じゃ、また。来週から研修とか始まるみたいなんで、がんばらないと。あー、社会人て大変だなぁ。でも、少ないけど給料も出るみたいだし」
「今のところは引っ越したりするのかい?」
「ううん……しないと思う。あそこ、気に入ってるんだ。狭いけど」
窓から花見が出来るってサイコー! と野本君は笑った。
「そうだよな。うん。あそこはいいとこだと思う。じゃあさ、心機一転、携帯変えてみたら?」
「これ?」
野本君はシンプルな携帯を振ってみせる。俺は頷いた。
「無事就職決まったし、さ。それに……」
「あー、今は平和だけど、一時ヤバかったもんな、これ」
「そうそう。新しい門出に、新しい携帯! いいと思うな」
携帯会社の回し者ですか、と野本君は吹き出し、でもすぐに真顔になった。
「うん……。そうだな。そうします。ちょうど明日バイト代入るし、苦しかった就活よ、さらば! って感じで。今度はセキュリティがもっと信用出来る会社のにします。今契約してるとこ、あんまり評判よくないんですよ、実は。顧客情報が漏れたりしてるらしいのに、隠してるしね」
明日さっそく変えてきます、と言う野本君にひらひらと手を振ってみせ、歩き出そうとしたが、俺はふと立ち止まった。これだけは忠告しておいた方がいいだろう。
「あのさ、野本君……」
「え?」
逆光。振り返る影。ああ、ホントに日が落ちるのが早いな。
「さっき言ってた先輩って人に、新しい携帯番号教えない方がいいと思う」
俺の言葉に、野本君はしばらく黙って考えていたようだったが、やがて、そうですね、それがいいのかも、と呟いた。
「それじゃあ……」
軽く会釈して、背を向けかける。が、ふと躊躇うようにまたこちらに向き直った。
「ん? どうかした?」
訊ねる俺に、野本君は改めて深く頭を下げた。
「え、な、何? どうしたんだよ」
「ありがとうございました」
「え?」
「俺の携帯に変なのがかかってこなくなったのは、あなたに相談してからすぐのことだった。何か、してくれたんでしょう?」
「あー、いや、その……」
君に相談された俺は、<風見鶏>に相談したんだよ、なんてこと言えるわけもなく。だってさ、やつとは一応秘密の関係っていうかさ。<風見鶏>みたいなネットの<ウォッチャー>は、その存在の片鱗ですら無関係な人間には知らせたくないだろうし……。
「さすが、何でも屋ですよね。ああいう携帯迷惑電話系にも対応出来るなんて」
いや、いやいやいや。全然対応出来ないから。何でも屋たって、通信系で俺が出来るのは、抜けたモジュラージャックを挿し直すとか、電気屋で同じの買ってきて交換するとか、充電切れの携帯を充電器に繋ぐことくらいですから!
……そういうのでも、お年寄りには需要があるんだよ。
「あのね、野本君……」
「俺、あの時、ホントきつかったんですよ。就活はうまくいかないし、変な電話はいっぱいかかってくるし、誰かに見張られてる感じもしてて怖かったし。だからって、無理して買った携帯を変えるのも金銭的に難しくて」
はあ、と野本君は息をつき、目元を擦った。
「とにかく色々ギリギリだったから、うれしかったです。本当だったら俺、依頼料というか、礼金払わないといけないんだけど、」
「の、野本君、俺、別に何もしてないから! そんなんいらないって!」
俺の必死な声に何を思ったのか、野本君はしばらく俺の顔をじっと見ていたが、やがて生真面目に頷いた。
「まだ学生だからって、気を遣ってくれるんですね。……俺、あなたみたいな懐の深い人になりたいです」
やめとけ、野本君。夏でも懐は寒いし、リストラされたり離婚したりするぞ、おい。
「初任給もらったら、竹やの上天丼ごちそうさせてくださいね! それと、こんなにいい何でも屋さんがいるって、色んなとこで宣伝しときます!」
一息にそう言うと、野本君は大きく手を振って照れたように走って行った。いや、天麩羅専門店・竹やの上天丼、たしかに美味いけれどもさ……。
「携帯迷惑電話のトラブルは、対応外だからなー!」
小さくなる背中に、俺は力なく叫んでいた。
はあ、やれやれ……。
さらに後日談。
野本君は無事携帯会社と携帯番号を変えた。大学の後期試験の勉強に、就職先の研修にと充実した日々を送っている。
そして、<風見鶏>。
やつは、さすがに抜け目が無いと言おうか……。
野本君の元の携帯番号を“携帯ブラック業者ホイホイ”にし、本業(というものなのだろうか)の<ウォッチャー>の仕事に役立てているらしい。自動応答コンテンツ? をさらに増やしたので、そのスジでは人気があるのだとか。
どういうふうに役に立っているのかは知らない。
知りたくも、ない。
『電脳の魔術師と携帯電話』 完