第100話 ホワイトデー 頑張った俺、智晴視点

文字数 2,384文字

いつものようにノックしたが、元義兄の返事はない。

コンクリートにただ嵌め込んだだけ、という味も素っ気もない鉄のドアを見つめ、智晴は首を傾げた。
鍵は開いているから、と彼は言ってはいたが、さて。

ドアノブを回すと、本当に開いている。無用心だなぁ、と智晴は心の中で溜息をつく。

危機管理能力が欠けているとしか思えない彼、智晴の元義兄は、古ぼけた合皮製のソファの上で眠っていた。寒いのか、背中を丸め、湯たんぽを抱えている。一応毛布を被っているのは、これでも懲りたのだろう。ちょうどひと月前、せっかくのバレンタインデーに彼は大風邪を引いたのだ。

胃が弱ってしまい、可愛い娘からのバレンタイン・チョコを食べられずにうなだれていた彼の情けない表情を思い出し、智晴は小さく笑った。

頼りないが、どこか癒し系のこの元義兄のことを、智晴は気に入っている。気の強い姉の夫として、まずまずの合格点をやれると彼は思うのだが、世の中、永遠という言葉は難しい。嫌い合って別れたわけではないと知っているが、そのことを考えると智晴はいつも複雑な気分になる。

相手のことを思いやりすぎて壊れてしまう関係というものもあるのだ。そのことが分からないほど、智晴も若すぎるわけではない。

熟睡している元義兄のために、智晴は狭い寝室から掛け布団を持ち出してきた。今日は少し冷えるのだ。起こさないよう、丸まった身体に布団を掛け、さらにエアコンのスイッチを入れる。もったいないと彼は後から怒るだろうが、こんなところで転寝していたら、また風邪を引いてしまう。

静かに、素早く作業をしながら、智晴はテーブルの上に置いてある三つの包みに意識を向けていた。数時間前に彼から入ったメールには、ホワイトデーのお返しを用意しておくから、それを彼の娘のののかと、ついでに元妻である智晴の姉に渡してくれと書いてあったのだ。

そんな元義兄の世話を一通り終え、智晴は包みのひとつを手に取ってみた。不恰好な包装だが、きっと一所懸命ラッピングしたのだろう。包装材と悪戦苦闘しているその姿を想像するとつい微笑ましくなってしまい、苦笑する。

やはりこの人は癒し系なんだなと、あらためて智晴は認識した。

ラッピングからはみ出した部分から察するに、これはマフラーだろう。それも手編みの。不器用なこの元義兄が編み物に挑戦したのかと思うと、感心するやら呆れるやら。きっと悪戦苦闘したんだろうと智晴は想像する。

包みはなぜか三つあった。ひとつはもちろん彼の娘のののかのものだ。カードがついている。パステルピンクのコットン糸を使ってあるようで、春先にも使えるように考えたらしい。

智晴の姉、彼の元妻のためのマフラーは、発色のいいエメラルドグリーン。この色ならば、姉は気に入るだろうと智晴は思った。

最後の包みは、驚くべきことに智晴の分らしい。添えられたカードによると、ひと月前の風邪の看病の礼だという。

これもマフラーのようだが──、色がバステルピンクとエメラルドグリーンごちゃ混ぜということは、残り糸で編みましたね、義兄さん。

呟いて、怒るより智晴は笑ってしまった。

マフラーといっても、やっと首に巻けるだけの短いものだ。色的にちょっと辛いものがあるが、智晴はそれを自分の首に巻きつけてみた。そう悪いものでもないと思う。どうせ、上からジャケットを着るのだし。

元義兄は何やらむにゃむにゃと言いながら寝返りを打っている。きっとこれらの作品をホワイトデーの今日までに完成させるため、かなり無理をしたんだろう。そう思い、智晴は彼を起こさずに部屋を辞することにした。

無用心なので、鍵だけはかけておくことにする。土産に持ってきたブランデーケーキを冷蔵庫に入れ、その旨メモしてテーブルの上に置いておいた。元義兄は隠そうとしているが、けっこう甘いもの好きなのだ。

そこが可愛い、と姉などは笑っているのだが。

おやすみ、義兄さん。

小さく声を掛け、智晴は元義兄の部屋を辞した。姪のののかは、パパの手作りマフラーを喜ぶだろう。姉は下手だのなんだのとこき下ろしつつ、それでも大切に仕舞っておくだろう。

自分は、次に彼を訪問する時に、そ知らぬ顔で首に巻いてきてやろう、そう智晴は思った。きっと、元義兄は照れと、こんなヘンな配色にしてしまったことが後ろめたくて、落ち着きが無くなるに違いない。

──にやり、と人の悪い笑みを浮かべる智晴は、三月三日にこの義兄にい()められたことを、忘れてはいなかった。


















おまけ


「と、ともはるくん?」

「何ですか、義兄さん?」

「そ、それってバーバリーのコートに見えるんだけど」

「よく分かりましたね」

「いや、高そうだし」

「そうでもありませんよ」

「そ、それにそのスーツ」

「はい?」

「それってポールスミスかな?」

「ええ」

「駅前の高級紳士服店のディスプレイに同じようなのがあったから」

「そうなんですか」

「もしかして、そのネクタイも?」

「そうですよ」



「その出で立ちでその(・・)マフラーするの、やめてくれよ! 頼むから! 変だろ、浮いてるだろ、貧乏くさいだろ!!」


「えー、どうしてですか、義兄さん。せっかくのあなたの手編みマフラーなのに。この配色! 素晴らしいじゃありませんか。僕、手編みのマフラーなんかもらったの初めてだから、とってもうれしくって」


「……」


「目が揃ってないのがまた、本当に手編みって感じでいいなぁ」


「……お前、ひな祭りの時のこと根に持ってるだろ?」


「何のことです? 僕、義兄さんに何かされましたっけ?」


「智晴……」


「ふふ」



智晴、圧勝。
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