第161話 マレーネな夜 14
文字数 1,556文字
かつて一緒に飲んだことのある葵は蒼褪めた。
「やめて! ディートリッヒのイメージが崩れる!」
俺は、ふふん、と嘲笑って瓶の蓋を開け、これ見よがしに香を嗅いでやる。
「あ、今のちょっと意地悪でシニカルな表情、すごくイメージに近くて芙蓉が喜ぶ……。って、だから飲むのはやめて! あなたとっても陽気でフレンドリーになるんだもの……。素のあなたとならいくらでも一緒に飲みたいけど、今夜だけはやめて! 俺、芙蓉に怒られる……」
酔っ払うとあなた、すごく可愛らしい男になるんだもの、などと葵はさらに失礼なことを言う……って、昔友人たちにそんなこと言われたことあるけどさ。
俺のこめかみがぴくっとしたのを見て、葵はますます慌てた。
「いや、だから! 女のように可愛いとかじゃないんだよ。大人の男の可愛さっていうの? 少年みたいな笑顔が微笑ましいっていうか、ほら! あなたの言うところのあの<笑い仮面>、俺たちの父親。あの男の鉄壁の笑顔ですら、あなたの無邪気さに毒気を抜かれて戸惑う気配があったよ」
それくらい酔っ払ったあなたは凄いんだよ! と力説されて、俺は何だか情けなくなった。下を向いて、あー、とか言ってると、葵は弱った声で続けた。
「頼むよ……、今夜の約束は女装をして一晩店にいるってだけだから、それ脱がないかぎり約束は果たされるわけなんだけど、だいたいここ酒を出す店だし。でもね、俺、あんなに喜んでる芙蓉見るの初めてなんだ。長年心に抱いてた自分のイメージを実現させることが出来て、本当にうれしそうなんだよ。芙蓉、辛いこといっぱいあったから……俺、俺はお兄ちゃんには笑っててほしいんだ。意識したんじゃない、自然な笑顔で」
お兄ちゃん孝行したいんだよ、と弱々しく葵は呟いた。
「……」
俺は顔を上げて目の前で項垂れてる青年を見た。双子なんて、同じ日に生まれてどっちが先か後かってだけなのに。一卵性ならDNAまで一緒なのに。何でか、弟は兄を兄だと思うんだよな。兄が弟を弟と思って、何故とはなしに守らなきゃと思うように。
俺は、俺の弟を思い出した。死んだ後も俺を守っていてくれた双子の弟。
「分かったよ」
俺は言った。
「俺の弟に免じて許してやる」
「あなたの弟さん……?」
不思議そうに葵は首を傾げる。そりゃ、いきなりそんなこと言われても訳が分からないわな。でも、いいんだ。お前のその弟心に免じて許してやるよ。
「ローストビーフのサンドイッチ」
「え……?」
「それと、ジンジャーエール。野菜はスティックにしてくれ。ドレスを汚したら困るから」
葵の顔がパッと明るくなった。
「任せて! この店の料理人は腕がいいんだよ。しっかり食べてスタミナつけてもらわなきゃ。芙蓉、次のドレスは黒だって言ってたよ。それとグレーフォックスの豪華なショール。それも似合うだろうなぁ。芙蓉も着せるの楽しみだって!」
俺が、おい、とか、まて、とか声を発する前に、発条 のように勢い良く葵は部屋から飛び出して行った。一人残された俺は、ただ唖然としていた。声も出ない。まさか、衣装替えまでさせられるとは思ってなかった。
「……」
テーブルの上に、芙蓉が置いていった写真立て。在りし日の夏子さんがそこで微笑んでる。一枚はダンディな男前、一枚はやさしげな美女。
「ま、いいか……」
俺は独りごちた。芙蓉は普段あんなに隙無く守ってる女装時の女言葉を忘れるほど喜んでたし、葵は子供の頃の兄の呼び名を聞かせてくれた。普段あんなにスカしたツラをしたやつらが、こんな俺の女装ごときで……。
「あいつらと夏樹くんのこと、見守ってやってください、夏子さん」
写真の夏子さんが、笑みを深めたような気がした。
「やめて! ディートリッヒのイメージが崩れる!」
俺は、ふふん、と嘲笑って瓶の蓋を開け、これ見よがしに香を嗅いでやる。
「あ、今のちょっと意地悪でシニカルな表情、すごくイメージに近くて芙蓉が喜ぶ……。って、だから飲むのはやめて! あなたとっても陽気でフレンドリーになるんだもの……。素のあなたとならいくらでも一緒に飲みたいけど、今夜だけはやめて! 俺、芙蓉に怒られる……」
酔っ払うとあなた、すごく可愛らしい男になるんだもの、などと葵はさらに失礼なことを言う……って、昔友人たちにそんなこと言われたことあるけどさ。
俺のこめかみがぴくっとしたのを見て、葵はますます慌てた。
「いや、だから! 女のように可愛いとかじゃないんだよ。大人の男の可愛さっていうの? 少年みたいな笑顔が微笑ましいっていうか、ほら! あなたの言うところのあの<笑い仮面>、俺たちの父親。あの男の鉄壁の笑顔ですら、あなたの無邪気さに毒気を抜かれて戸惑う気配があったよ」
それくらい酔っ払ったあなたは凄いんだよ! と力説されて、俺は何だか情けなくなった。下を向いて、あー、とか言ってると、葵は弱った声で続けた。
「頼むよ……、今夜の約束は女装をして一晩店にいるってだけだから、それ脱がないかぎり約束は果たされるわけなんだけど、だいたいここ酒を出す店だし。でもね、俺、あんなに喜んでる芙蓉見るの初めてなんだ。長年心に抱いてた自分のイメージを実現させることが出来て、本当にうれしそうなんだよ。芙蓉、辛いこといっぱいあったから……俺、俺はお兄ちゃんには笑っててほしいんだ。意識したんじゃない、自然な笑顔で」
お兄ちゃん孝行したいんだよ、と弱々しく葵は呟いた。
「……」
俺は顔を上げて目の前で項垂れてる青年を見た。双子なんて、同じ日に生まれてどっちが先か後かってだけなのに。一卵性ならDNAまで一緒なのに。何でか、弟は兄を兄だと思うんだよな。兄が弟を弟と思って、何故とはなしに守らなきゃと思うように。
俺は、俺の弟を思い出した。死んだ後も俺を守っていてくれた双子の弟。
「分かったよ」
俺は言った。
「俺の弟に免じて許してやる」
「あなたの弟さん……?」
不思議そうに葵は首を傾げる。そりゃ、いきなりそんなこと言われても訳が分からないわな。でも、いいんだ。お前のその弟心に免じて許してやるよ。
「ローストビーフのサンドイッチ」
「え……?」
「それと、ジンジャーエール。野菜はスティックにしてくれ。ドレスを汚したら困るから」
葵の顔がパッと明るくなった。
「任せて! この店の料理人は腕がいいんだよ。しっかり食べてスタミナつけてもらわなきゃ。芙蓉、次のドレスは黒だって言ってたよ。それとグレーフォックスの豪華なショール。それも似合うだろうなぁ。芙蓉も着せるの楽しみだって!」
俺が、おい、とか、まて、とか声を発する前に、
「……」
テーブルの上に、芙蓉が置いていった写真立て。在りし日の夏子さんがそこで微笑んでる。一枚はダンディな男前、一枚はやさしげな美女。
「ま、いいか……」
俺は独りごちた。芙蓉は普段あんなに隙無く守ってる女装時の女言葉を忘れるほど喜んでたし、葵は子供の頃の兄の呼び名を聞かせてくれた。普段あんなにスカしたツラをしたやつらが、こんな俺の女装ごときで……。
「あいつらと夏樹くんのこと、見守ってやってください、夏子さん」
写真の夏子さんが、笑みを深めたような気がした。