第357話 昏きより 9
文字数 2,419文字
「昏きより昏き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月、か……」
確か和泉式部の歌だったっけ? 良く覚えてないけど、無明の闇からもっと昏い闇に迷い込んでしまった……みたいな意味だったかな。そんで、下の句は、遠くからでもいいから月の明かりを……つまり、救いをください、って願うような意味だったと思う。
昏きより昏き道にぞ入りぬべき
昏きより、暗きより、昏き道にぞ……
……あの男が繰り返していたのは上の句だけだ。やたらにぶつぶつ、ぶつぶつと、暗いところにいた可哀想な俺を、もっと昏いところに追いやるなんて酷い! って感じで己が身の不運を嘆いてた。未だに不満なんだろうなぁ、被害者意識満々だ。自分で勝手に不遇をかこって、そんで勝手に暗いって思ってただけなのに。
しかも、自分が一番嫌だった変化を求められてるから、なおさら不満。土地神様の言う動け、流れてゆけってさ、少しは変われよお前、変化しろってことだろう? 石だって、流れていくうちに丸くなる。なのに、男はなまじ人間だったから、自分のどこも傷つかないよう、削れないよう、そんなことばかりに気を取られて、石より固くなってる。変わりたくなくて。
動かざること山の如し、って山だからいいんだよ。ただの石が真似すんな。それに、万物は流転する、って言葉もある。パンタ・レイ、哲学の時間に習った。すべてのものが常に移り変わるというのに、石ごとき、人ごときが留まっていられるはずがないじゃないか。
「せっかく土地神様が罪滅ぼしの機会をくれたというのに……」
そう、変化の機会を。無理にでも視点を変えさせることによって、男に己を見つめるための機会を与えてくれた。だけど、暗い昏いと恨み言ばっかり言ってたし、本人にその気持ちが全く無いんだから、あの男は永遠に救われることはないだろう。ずっと流され、流れ続けて……変わらない己のまま、醜悪な形をした石のまま……いつか、自我が消え果るまで……。
そこまでしても、自分は動きたくない、変わりたくないなんて、さ。
「最大静止摩擦力が一番大きいっていうけどね……」
一歩踏み出すための、その、心のエネルギー。使いどころを間違って、もっと大きなものにごろんと転がされ、転がり続けて、そのうち摩擦係数がゼロに──なんてね。たとえば俺、いままさに巌のような気持ちでベッドから出たくないんだけどもさ、心地よく温もった布団の敷き毛布に掛け毛布、脇の下の猫があったかくて、ほんともうここは極楽、動きたくない……でも……。
ぐーっ
「腹、減った……」
ほら、こんなことでも動き出す。外がまだ暗くても、目覚ましが鳴る前でも。
枕元の携帯を見れば、セットした時間まであと五分。変な夢見て起こされて、その後も妙な夢うつつ。朝から疲れる……仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる……って、あれ仏様じゃなくて土地神様だっだよなぁ。有り難い存在とは存じまするが、俺としては普通に眠らせていただくほうがありがたかったです。具体的には、アラームが鳴るまで。
「……つまんないこと考えてないで、起きよ──」
溜息を吐きつつ布団から出ると、おおぅ、寒い! 取り敢えずどてら羽織って、と。うるさい、居候猫。俺はお前のアンカじゃないんだ。ほら、お前にも朝飯入れてやるから布団から出ろ──。猫め、不満そうに床に飛び降りて、ぎゅーっと全身で伸びを……俺も伸びとこ。
さて何食べようかな……あ、ご飯仕掛けるの忘れた! くっ、不覚……って思ったけど、あれがあったよ、かぼちゃミートパイ。神埼の爺さん、ありがとう! レンジでチンすりゃあっつあつ。お湯を沸かしてインスタントのスープでも付ければ、なかなかお洒落でリッチな朝食じゃないか?
そう思えば、ますます腹が鳴ってくる。開けたままの寝室のドアを抜けて、弱くエアコン暖房入れたままの隣の部屋に入る。以前は寝る前に暖房切ってたんだけど、智晴に<冬場におけるコンクリート打ちっ放しのビル及び部屋の冷えについて>懇々と説教されてから、寝て起きて出かける前までは入れておくことにしてる。「僕を義兄さんの凍死体の発見者にさせないでくださいね」って智晴……。
ドア脇のスイッチを入れて、パッと天井の明かりが点く。と、いきなり目に飛び込んでくるのは、ボロソファの背に広げた派手面白い柄、御堂さんの部屋着。赤紫色にオレンジっぽい黄色の柄の入った……。
ん?
赤紫は小豆色。濃い黄色は南瓜色。冬至における魔除けは小豆と南瓜、お揃いだ。
……
……
俺、この部屋着のポケットに、あの弱い冬の陽を集めて凝らせたみたいな色の玉を入れておいた気がする。昨日、お寺近くの祠で拾った、薄い黄色かはたまたオレンジ、琥珀かあるいは黄水晶みたいな数珠玉。
「陽狩りの玉……?」
この冬至における魔除け柄、ユウカちゃんの弟くん曰くのはろうぃん柄の部屋着に、俺が玉を仕舞ってしまったから、返してくれって夢枕に立たれてた……? 魔除け柄に触れなくて……あいつ、魔そのものだもんな。
「……」
思わず、変な笑いが出た。
虎豆くんに、NNNにおびき出されたのかい、なんて言ってたけど、俺がおびき出されたのかもしれない、土地神様に。あの古い祠、あれは昔からこの地に鎮まる神様の祠なのかも。
そう考えてみたらパズルとも思ってなかったゆるいピースが集まって、ひとつのショートムービーが出来上がる。
野良猫追いかけて飛び出した犬を追いかけた何でも屋。犬は仔猫を拾って、何でも屋は光の玉を拾って。光の玉はその時着ていた犬の飼い主の部屋着のポケットの中へ。その部屋着は小豆と南瓜の魔除けの色をしていたものだから、光の玉はさすらいの亡者男に触れられなくなってしまい、亡者男は今年も「陽狩りの玉」を集めきれず、来年の夏至の日まであてどなく流れ続けるのです……。
「……」
プロローグには、土地神様の眷属カラスが亡者男から「陽狩りの玉」を奪い、空高く飛んで行くシーンが入っているに違いない。
確か和泉式部の歌だったっけ? 良く覚えてないけど、無明の闇からもっと昏い闇に迷い込んでしまった……みたいな意味だったかな。そんで、下の句は、遠くからでもいいから月の明かりを……つまり、救いをください、って願うような意味だったと思う。
昏きより昏き道にぞ入りぬべき
昏きより、暗きより、昏き道にぞ……
……あの男が繰り返していたのは上の句だけだ。やたらにぶつぶつ、ぶつぶつと、暗いところにいた可哀想な俺を、もっと昏いところに追いやるなんて酷い! って感じで己が身の不運を嘆いてた。未だに不満なんだろうなぁ、被害者意識満々だ。自分で勝手に不遇をかこって、そんで勝手に暗いって思ってただけなのに。
しかも、自分が一番嫌だった変化を求められてるから、なおさら不満。土地神様の言う動け、流れてゆけってさ、少しは変われよお前、変化しろってことだろう? 石だって、流れていくうちに丸くなる。なのに、男はなまじ人間だったから、自分のどこも傷つかないよう、削れないよう、そんなことばかりに気を取られて、石より固くなってる。変わりたくなくて。
動かざること山の如し、って山だからいいんだよ。ただの石が真似すんな。それに、万物は流転する、って言葉もある。パンタ・レイ、哲学の時間に習った。すべてのものが常に移り変わるというのに、石ごとき、人ごときが留まっていられるはずがないじゃないか。
「せっかく土地神様が罪滅ぼしの機会をくれたというのに……」
そう、変化の機会を。無理にでも視点を変えさせることによって、男に己を見つめるための機会を与えてくれた。だけど、暗い昏いと恨み言ばっかり言ってたし、本人にその気持ちが全く無いんだから、あの男は永遠に救われることはないだろう。ずっと流され、流れ続けて……変わらない己のまま、醜悪な形をした石のまま……いつか、自我が消え果るまで……。
そこまでしても、自分は動きたくない、変わりたくないなんて、さ。
「最大静止摩擦力が一番大きいっていうけどね……」
一歩踏み出すための、その、心のエネルギー。使いどころを間違って、もっと大きなものにごろんと転がされ、転がり続けて、そのうち摩擦係数がゼロに──なんてね。たとえば俺、いままさに巌のような気持ちでベッドから出たくないんだけどもさ、心地よく温もった布団の敷き毛布に掛け毛布、脇の下の猫があったかくて、ほんともうここは極楽、動きたくない……でも……。
ぐーっ
「腹、減った……」
ほら、こんなことでも動き出す。外がまだ暗くても、目覚ましが鳴る前でも。
枕元の携帯を見れば、セットした時間まであと五分。変な夢見て起こされて、その後も妙な夢うつつ。朝から疲れる……仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる……って、あれ仏様じゃなくて土地神様だっだよなぁ。有り難い存在とは存じまするが、俺としては普通に眠らせていただくほうがありがたかったです。具体的には、アラームが鳴るまで。
「……つまんないこと考えてないで、起きよ──」
溜息を吐きつつ布団から出ると、おおぅ、寒い! 取り敢えずどてら羽織って、と。うるさい、居候猫。俺はお前のアンカじゃないんだ。ほら、お前にも朝飯入れてやるから布団から出ろ──。猫め、不満そうに床に飛び降りて、ぎゅーっと全身で伸びを……俺も伸びとこ。
さて何食べようかな……あ、ご飯仕掛けるの忘れた! くっ、不覚……って思ったけど、あれがあったよ、かぼちゃミートパイ。神埼の爺さん、ありがとう! レンジでチンすりゃあっつあつ。お湯を沸かしてインスタントのスープでも付ければ、なかなかお洒落でリッチな朝食じゃないか?
そう思えば、ますます腹が鳴ってくる。開けたままの寝室のドアを抜けて、弱くエアコン暖房入れたままの隣の部屋に入る。以前は寝る前に暖房切ってたんだけど、智晴に<冬場におけるコンクリート打ちっ放しのビル及び部屋の冷えについて>懇々と説教されてから、寝て起きて出かける前までは入れておくことにしてる。「僕を義兄さんの凍死体の発見者にさせないでくださいね」って智晴……。
ドア脇のスイッチを入れて、パッと天井の明かりが点く。と、いきなり目に飛び込んでくるのは、ボロソファの背に広げた派手面白い柄、御堂さんの部屋着。赤紫色にオレンジっぽい黄色の柄の入った……。
ん?
赤紫は小豆色。濃い黄色は南瓜色。冬至における魔除けは小豆と南瓜、お揃いだ。
……
……
俺、この部屋着のポケットに、あの弱い冬の陽を集めて凝らせたみたいな色の玉を入れておいた気がする。昨日、お寺近くの祠で拾った、薄い黄色かはたまたオレンジ、琥珀かあるいは黄水晶みたいな数珠玉。
「陽狩りの玉……?」
この冬至における魔除け柄、ユウカちゃんの弟くん曰くのはろうぃん柄の部屋着に、俺が玉を仕舞ってしまったから、返してくれって夢枕に立たれてた……? 魔除け柄に触れなくて……あいつ、魔そのものだもんな。
「……」
思わず、変な笑いが出た。
虎豆くんに、NNNにおびき出されたのかい、なんて言ってたけど、俺がおびき出されたのかもしれない、土地神様に。あの古い祠、あれは昔からこの地に鎮まる神様の祠なのかも。
そう考えてみたらパズルとも思ってなかったゆるいピースが集まって、ひとつのショートムービーが出来上がる。
野良猫追いかけて飛び出した犬を追いかけた何でも屋。犬は仔猫を拾って、何でも屋は光の玉を拾って。光の玉はその時着ていた犬の飼い主の部屋着のポケットの中へ。その部屋着は小豆と南瓜の魔除けの色をしていたものだから、光の玉はさすらいの亡者男に触れられなくなってしまい、亡者男は今年も「陽狩りの玉」を集めきれず、来年の夏至の日まであてどなく流れ続けるのです……。
「……」
プロローグには、土地神様の眷属カラスが亡者男から「陽狩りの玉」を奪い、空高く飛んで行くシーンが入っているに違いない。