第304話 朝日にゝほふ山ざくら花

文字数 1,166文字

・4月6日 朝日にゝほふ山ざくら花 

咲き急ぎ、散り急ぐ。

ちょっと暖かい日が続いたと思ったら、一分咲きからいきなり九分咲きになった桜。ほどなく満開になり、昨日と今日の豪雨で散り果てた。

散るために咲くのか、咲くために散るのか。

なーんてな。

んなこと考えったって分かるわけない。「どうせ死ぬのに、どうして生まれて来るの?」って聞くのと同じことだよな。いや、この間、後藤さんちの陽介君に訊ねられたんだよ。塾の送り迎えの時。

あの子もこの四月から中学生。小学三年生から続いてた俺の送り迎えも、その日が最後だった。だから、そんなことを聞いてきたんだと思う。ちょうどそんなふうなことを考えるような年だし。

大人として、何て答えたらいいのか悩んだんだけど──。

「ごめん、小父さんにも分からないよ」

「そうなんだ……」

偉そうなことは言えなかったよ。俺にだって分からないもん。

俯く陽介君。まだ小柄だけど、小学三年生の頃から考えたら大きくなったなぁ。オジサンもトシを取るはずだ。

「でもさ、小父さんは思うんだけど」

そう言うと、陽介君はちらりと俺の顔を見上げた。

「たとえばさ、桜の花も、毎年咲いては散るだろう? で、翌年また花が咲くんだ。散るために咲くのか、咲くために散るのか分からないけど、木が生きてる限りはずっと咲いたり散ったりを繰り返すよね。人間も同じなんじゃないかなぁ。とりあえず、せっかく今生きてるんだから、死ぬ時が来るまで普通に生きてればいいんじゃないかな」

「……なんか、よくわかんない」

「小父さんだってわかってるわけじゃないよ。でもさ、今現在生きてるんだから考えたってしょうがないじゃん。仮にさ、今すぐ死ねなんて言われたって困るだろ。そんなこと言う権利なんて誰にもないんだし。だから生きるしかないんだと思う。どうせいつかは死ぬけど、それは今じゃない。そんな先のこと考えて不安になる必要はないよ」

「そうなの……?」

「そうだよ」

「そっか……」

──その日はそれで終わったんだけど、陽介君、わかってくれたかな。

考えてみれば、十代って心のサバイバルが過酷だよな。毎日意味もなく苦しかったり、捨て鉢な気分になったり、苛々したり落ち込んだり。

大人になるための蛹の時期っていうのかな。

俺にとってはもう大昔のことだけど、未だにうっすら覚えてるよ、苦しかったあの頃。思い出すと「うぎゃー!」とか叫んでその辺走り回りたくなるけど。

まあ、何だ。誰がどう思おうと何だろうと、関係なしに桜は毎年咲くわけだ。咲いて散ってまた咲いて。

そのことに苛々したり、安心したり癒されたり。様々な感情を受け止めてくれる桜は、やっぱり日本人の心ってやつなんだろうなぁ、って思う。


  
  
  しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花
                      ─ 本居宣長
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