第237話 ののかと柏餅 3 終

文字数 1,404文字

智晴のためには、ブリタの水を沸かしてコーヒーを淹れることにする。インスタントだが、文句は言わせない。

「うーん、それがね……」

智晴の説明によると、本日の「こどもの日イベント みんなでかしわ餅をつくってみよう!」幼稚園行事には、母親とともに父親も参加している子供が多かったらしい。

折悪しく仕事で行けなくなった元妻の代わりに、叔父の智晴が参加してくれたのだが、ののかとしては、ママは来てくれないし、パパもいないし、ということで、だんだんとふさぎ込んでいったという。結局、楽しみにしていたかしわ餅も材料を前にしてつくらず仕舞いとか。

「まあね、僕はやっぱりののかの親ではないですから」

しょうがないですね。そう言って、智晴は寂しげに微笑った。

「さ、これを飲んだら、パパとののかと僕で、かしわ餅をつくろうか」

オレンジジュース、いや、みかんジュースをののかの前に置いてやってくれながら、智晴が提案する。

「かしわ餅をつくるって、え? 材料が無いぞ?」

慌てる俺。そうすると、もち米買ってこなきゃいけないのかな。餡子……小豆を煮ればいいのか? そんなものつくったことないから、さっぱり分からん。

「大丈夫ですよ、義兄さん。材料はちゃんと分けてもらってきてあるんです」

智晴は持ってきた紙袋をごそごそさせて、重箱を取り出してきた。

「餅も餡子も真空パックですから衛生的にも大丈夫。かしわの葉もあるしね」

用意周到なやつ。お陰で助かったが。

「ママとはこのあいだぼたもちをつくったの。だから、ののか、きょうはパパとかしわもちつくりたかったの」

「そうか……」

俺はうれしかったが、それはどこかほろ苦い思いを伴った。

それから、みんなでエプロンと三角巾をし(智晴はここでも段取り男だった)、楽しくかしわ餅をつくった。

ののかのつくったものは餡子がはみ出ていたが、俺にはどんな和菓子より美味しく感じられた。俺のつくったのは悪戦苦闘の末通常の二倍くらいの大きさになり、智晴の作品(まさに作品だ)はクオリティが高く、なんとうさぎ形だった。うさぎがかしわの葉っぱの服を着ているように見える。

智晴……お前、凝り性だな。

思い思いの作品を重箱に並べる頃には、もう日が落ちて暗くなりかけていた。その時再びノックの音がして、元妻が現れた。よほど急いだのだろう、せっかくまとめた髪が少しほつれている。

「ごめんね、ののか」

元妻は、幼い娘を抱きしめる。彼女がののかを胸に抱く姿を見る時、俺はいつも聖母子像を思い出す。慈しみに満ちた母親の瞳。娘を包み込むそのやさしい腕。

「ううん。ママ、おしごとだったもん。トモちゃんがいてくれたから大丈夫だよ。それに、今日はののかとパパとトモちゃんの三人でかしわもちつくったの。ねえ、ママもいっしょに食べよう? おいしいよ」

まだ幼いのに、こんなに物分かりのいいセリフを言わせてしまう自分たちが情けなかった。元妻と目を合わせると、彼女もなんともいえず寂しそうな表情をしている。

「今日はこれからかしわ餅パーティだ。みんなで食べるのが一番美味しいぞ!」

俺は明るく宣言した。子供に気を使わせてはいけない。元妻も智晴も分かっているだろう。俺たち大人がこの子のこころを守らなければ。

今日はこどもの日。
こどもが楽しく、幸せに過ごす日なのだから。

大人になった時、あんなこともあったなぁ、と思い出してくれればいい。ママもパパも叔父さんも、みんなおまえを愛している。
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