第36話 護られていた俺

文字数 3,072文字


「見守ってたって、え、俺を?」

あんまり意外なことを言われたので、俺は一瞬日本語が不自由になった。マンガにすれば、頭の真横でお寺の鐘が撞かれたような。

ごーん。

こんなワカモノたちに見守られるオジサンって……しかも、全然気づいてなかったって……。

ゴーォォォォン。

Eating oyster, I hear that the bell rings, Hohryuji-temple.

ああ、思わず英語俳句を思い出してしまった。カキ違いだが。智晴がこんなシャレを教えるのが悪い。 正岡子規が草葉の陰で泣いてるぞ。

「大丈夫?」

芙蓉に目の前で手をひらひらされて、俺はようやくショックから立ち直った。

「えっと、君たちが俺を見守っていてくれてたと?」

「そうよ。<サンフィッシュ>でだって、あなた危なかったのに。客に紛れて怪しいのがいたのに、気づいて──」

俺は激しく横に首を振った。

「気づいてなかったみたいね」

芙蓉は微妙な微笑みを見せた。

「でも、あなたはあたしたちなんかより、もっと前から守られていたみたいよ。葵と一緒にあなたを見ていて気づいたんだけど」

「え?」

今度こそ思考が停止し、脳内がスパークして色とりどりの光が乱舞した。サイケデリックな模様が灰色の脳細胞をネオンのように駆け回り、太陽フレアのように黄金の小爆発を繰り返す──。

……うーん、トリップするのにドラッグなんか全然必要ない。センス・オブ・ワンダーに囲まれたら、意識なんか、惑星から小惑星だか矮星だかに格下げになった冥王星あたりまでぶっ飛んでいく。

おーい、戻るんだ、俺! 今、すごく重要なことを聞いたんだぞ!

弟が死んだ日にあいつの部屋が家捜しされてたとか、あいつが集めたはずの捜査の資料だか証拠だかを俺が預かっていると思われているとか、そのせいで俺自身の身が危ないとか、誰かにつけられてたとか守られてたとか、一度に聞かされたからってそれくらいで真っ白に燃え尽きるな、俺。ジョーじゃないんだから。

燃え尽きていいのは、すべてを尽くして戦ってからだ。

……いや、ダメだ、俺にはののかがいるんだから。燃え尽きてる場合じゃないぞ。

「──俺は今まで誰に守られてたんだ?」

俺は芙蓉に訊ねた。ってゆーか、俺は弟から何も預かった覚えはないのに、なんで狙われなきゃならないんだ。

理不尽だ。

「それが誰なのか、あたしたちにも分からないわ」

芙蓉は答える。

「でも、あなたは守られている。それは確かよ。──<サンフィッシュ>にいた怪しい男だってそう。そいつ、あなたが店を出てからも尾行してたけど、突然姿を消したもの」

「そ、それって単に尾行が別の人間に代わっただけなんじゃ?」

恐る恐る訊ねた俺に、芙蓉は首を振った。

「あたしはあなたより先に店を出て、<サンフィッシュ>の入り口が見えるところにいたの。葵と連絡を取りながらしばらく見張っていたらあなたが出てきて、そのすぐ後から男が出て来たわ」

「それで……?」

誰かにつけられてたなんて、考えもしなかった。今頃胸がドキドキしてくる。

「あたしもその後をつけようと思ったら……」

「お、思ったら?」

「駅までまっすぐの道だけど、途中何ヶ所か薄暗い路地が口を開けているところがあるのよ。そのうちのひとつの前をあなたが通り過ぎた。で、ついてきていた男も同じようにそこを通り過ぎた、はずなのに、いきなり姿が消えたのよね」

「姿が消えた?」

芙蓉は頷く。

「そのことを葵にメールで伝えて、あたしはそのまま、あなたが無事に事務所に帰りつくのを見届けたってわけよ」

え? あの時、俺、<謎の女>本人につけられていたのか? しかも自宅兼事務所ビルまで? ……どれだけボケてるんだろう。いや、だって、歩きながらいろいろ考え込んでたし、<サンフィッシュ>のバーテンのご馳走してくれたジンジャーコーディアルのお蔭で気分が良かったし……。

決定。俺には探偵の真似なんて絶対出来ない。

いつもそう思ってるけど、今もそう思ってるけど、もうそれ以前の問題だ。探偵の真似が出来ないんじゃなく、真似をしてはいけない。それくらいのレベル。

俺が心の中でうなだれているのも知らず、芙蓉は続ける。

「後で葵に聞いたら、あなたをつけていた男、路地の奥で倒れていたらしいわ。何者かがそいつをそういう形で排除したのよ」

「……」

俺は絶句した。こ、怖い。俺の知らないところでは、バイオレンスがあふれているのか?

「あなたが高山に会いに行った時もそう。誰かがあなたを守るために動いていた。そうでなければ、あなたは高山に捕まっていたかもしれないわ」

「え?」

<笑い仮面>が俺を? そんなそぶりは全然見せなかったのに……。

「最初、たこ焼き屋さんにつれて行かれたでしょう?」

「う? うん」

「実は、その段階で既に危なかったの。高山はたぶん、そこであなたを拉致するつもりだったんだと思うわ。あの店は高山のダークサイドに繋がりがあるから」

──あのたこ焼き、美味かったなぁ……。
俺はつい遠い目をしてしまった。

幻のたこ焼きソースのにおいが、俺の鼻をくすぐっていく。
あの店がそんなにデンジャラスなところだったとは。あの時気づいていれば……いや、無理だろうな。はは……。

「俺、高山のマンションまで行ったんだけど。でも無事に出てこれたんだけど。……その、君が言うのが正しいなら、なんで俺は何事もなく帰ってこれたんだろう?」

そう。あの時、<笑い仮面>に息子の葵の居場所を探して欲しいと頼まれたんだ。赤い石のマンボウ・ピアスを渡されて。

その葵は今、芙蓉の幼い息子、夏樹に絵本を読んでやっているようだ。積み木遊びは終わったらしい。

微笑ましい叔父と甥の姿を見ながら、今更の恐怖に怯える男がひとり。なんというか、眩暈がするほど非日常的な光景だ。

「おそらく高山は、あなたをガードしている何者かの存在に気づいたんでしょうね。だからたこ焼き屋から移動して様子を見ることにしたんだわ」

「で、やっぱり俺をガードしている誰かがいたと?」

「でしょうね。あるいは、何らかの手段で警告を受けたか」

なんだか、魂が抜けそうになった。俺はただのしがないバツイチのオヤジで、普通の一般人だと思っていたんだが、実は違ったんだろうか? 

全然知らないところで護衛されてたなんて。

まさか、俺の背中には徳川の埋蔵金の在り処を示した地図でも隠されているとか? そういえば、子供の頃にさらわれた双子の片割れの背中に<黄金郷>の地図が隠されていて、それを求める者たちにつけ狙われるという大河歴史ロマンがあったな……。

完結していないけど。そういえば、あれは男女の双子じゃなかったっけ。

「とにかく高山は、その日にあなたを拉致することは断念したのよ。で、別の機会を狙うことにしたのに、悉くその何者かに妨害されたわけ。完璧よ。あたしと葵なんて何の役にも立たないくらい」

「はぁ……」

芙蓉は苦笑してみせたが、俺は気の抜けた溜息しか出てこない。

なんだか知らないが、俺をガードしてくれているという誰かは、弟が殺された直後から俺を守ってくれているらしい。そうでなければ、弟の部屋を家捜した何者かが、次には俺のところに来たはずだろうから。

弟が残したはずの、偽ヘカテの捜査資料を求めて。
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