第62話 亡き弟との会話

文字数 3,211文字


『びっくりしてるだろうね。ごめん』

画面の中の弟は言う。

『兄さんがこれを見ているということは、俺はもう死んでいるということだ。……本当はこれを見せずに済ませたかった』

俺はただただ茫然と弟の顔を見つめ続ける。弟は不思議な表情をしていた。全ての激情を意思の力で押さえ込み、そして、何かとても重大なことを決意してしまったような、揺るぎの無い、静かな表情。

『俺は今、ある犯罪組織に命を狙われている。俺が殺されたなら、犯人は間違いなくそいつらだ』

「どこの誰なんだ?! 教えてくれ!」

これは……生前に録画しておいたものなのだろう。それは分かる。頭では分かっている。けれど──。

『兄さんには具体的なことは教えないよ。知ってるのに知らないふりするなんて、兄さんには出来ないだろう? だから教えない。兄さんは不器用だからね』

「け、健さんみたいなこと、言うな!」

画面の中の弟は、くすくす笑った。

『今、兄さん「健さんみたいなこと言うな」って言っただろ。絶対にそうだ。大丈夫だよ、誰から見ても兄さんは不器用だ』

楽しそうに弟は言う。いつ録画しておいたものか知らないが、既に死んだ弟の、これは<影>に過ぎないはずなのに、何となく会話になってしまうのがとても不思議だ。

『でも、兄さんはその不器用さのお陰で助かっている部分が大きいんだよ。不器用というか、いい意味での鈍さかな。たとえば、嫌がらせをしたって、兄さんはその鈍さのせいで気がつかない。だから傷つくこともない』

「悪かったな、鈍くて」

俺は画像相手に不貞腐れた。

『でも、それが兄さんのいいところだよ。兄さんは誰に対しても常に肯定的だ。よほどのことが無いかぎり、誰かに対してネガティブな感情を持つことはない。それが周囲の人には安心出来るんだと思う。義姉さんの言うとおり、兄さんは癒し系の人だ』

「……」

癒し系。実の弟にまでそんなことを思われてたのか。俺はちょっと脱力した。

『俺はそんな兄さんが大好きだよ』

にっこり微笑む、画面の中の弟。

『だから、兄さんには幸せになって欲しい。それが俺の最後の願いだ。なのに巻き込んで、この録画を見てもらっているには理由がある』

……理由? 俺は首を傾げた。

『兄さんには、<鍵>になってもらったんだ。事後承諾でごめん。でも、そんな自覚が無い方が、安全だと俺と彼は判断したんだ』

<鍵>って何だ? 彼って、誰のことだよ?
混乱する俺に、弟はさらに言葉を重ねた。

『兄さんは、<ヴァルハラ>への鍵なんだよ』

何だよ、ヴァルハラって。俺は狂戦士かよ? 戦乙女が迎えに来てくれるような働きをした覚えはないぞ。

俺がそんなことを考えている間も、弟は続ける。

『<ヴァルハラ>っていうのは、何て言ったらいいのかな、俺にもあまりよく分からないんだけど、インターネットの海における<島>みたいなものらしい』

島? インターネットに?
まあ、確かに「ネットサーフィン」という言葉があるくらいだから、<島>という比喩も分からなくも無いが、……だからといって理解出来る、とはとうてい言えない。

だいたい、目に見えないというか、パソコンが無ければ意味ないというか、そんなものに<島>があるって言われても、俺には想像も出来ない。

『きっと兄さんは今、俺の言った<島>という言葉に悩んでいると思う』

悩むというか、意味分からん。
俺はぶすっと画面の中でしゃべる弟の顔を睨みつけた。

『俺に<ヴァルハラ>の存在を教えてくれた人が言っていたけど、インターネットっていうのは、この現実世界とはまた別の世界を形作っていて、互いにつかず離れずの関係を保っているんだって』

「別の世界……」

俺は呟いていた。それって、パラレルワールド?

『パラレルワールドじゃないよ。ネットの世界も元々は人間が作り出したものだ。けれど、それは巨大になりすぎて、人の手に余るものになっている、らしい』

「手に余るって、どういうことだ?」

『つまり、百パーセントは使いこなせないってこと。例えば、何かの情報をネットで探そうとする。簡単に見つかることもあるけど、どうしても見つけることが出来ない場合だってある。インターネットの形作る世界は、宇宙の海に似ているよ。あれは時に時空を超えることがある──これは彼の受け売りだけど』

「宇宙の海?」

それは……想像もつかないほど広そうだ。弟の言うことを信じるとすれば。

『インターネットはつまり、ワンゼロで出来た情報の海だよ。電気的エネルギーに支えられた膨大な情報の世界だ。我々のすぐ隣にあるのに、見えない、感じられない、そういう世界なんだよ。でも、厳然としてそれは存在するんだ』

俺はぼんやりと画面の中の弟を見つめていた。

今はもういない弟の、これは生前の言葉なのに、生きている時と同じように、ちゃんと「会話」になっているのはどうしてだろう。やはり、こういうのも一卵性双生児の神秘なんだろうか。

俺は何故か、もう一組の一卵性双生児、芙蓉と葵のシンクロ会話を思い出していた。

「……で、その<ヴァルハラ>が島だっていうんなら、それはどこにあるんだ?」

『<ヴァルハラ>は、ネットの海のどこかに存在するけど、その場所は誰にも分からないそうだ。たとえ目と鼻の先にまで近づけたとしても、その島影すら見えない。どんな凄腕の<船乗り>や<ダイバー>ですら、<ヴァルハラ>を見つけることは出来ない』

船乗りとか、ダイバーとか、どういう意味だ?
まあ、インターネットを海に譬えてるんだから、情報探索者? のことを言ってるんだろう。

ん?

<ウォッチャー>みたいな? てことは、<風見鶏>みたいな?

『無謀な冒険者たちが<ヴァルハラ>を見つけようと、ネットの海に乗り出すけれど、だいたい<サルガッソ>に阻まれて沈没するらしいよ』

サルガッソって……あの船の墓場のサルガッソ海か?

『イメージだよ、兄さん』

俺が首をひねったのが見えているように、弟は言った。

『正直、俺にも分からない。<サルガッソ>っていうのは多分、情報を求めて<ヴァルハラ>に侵入しようと試みるハッカーたちに対する、トラップのことだと思う』

「ハッカーに、トラップ?」

ど、どんな罠なんだ? 触れたとたん、バクハツするとか?

『引っかかっても、そうとは分からないことの方が多いそうだよ。ただ、<サルガッソ>に接触すると、ひと月からだいたい一年かそこらくらい経ってから、パソコンのハードディスクが突然謎のクラッシュを起こして、修復不可能になるんだそうだ』

「物騒だな」

『物騒だよね。でも、普通の人は<ヴァルハラ>の存在なんか知らないし、知らなくても日常生活に何ら支障は無い。ネットの大海原で迷っても、偶然そこに辿り着くようなことは有り得ないらしいから、<サルガッソ>に引っかかるのは邪心のある者だけだよ』

「つまり、俺みたいなパソコン・オンチは大丈夫ってことだな?」

『兄さんはうっかりしてるかもしれないけど、邪心は無いからね、心配はしなくても大丈夫だよ』

弟よ。本当は生きていてどこかから俺を観察してるんじゃないのか?
俺はついそんな疑心……いや、期待を抱いてしまった。

どうせなら、こんな小さなパソコンの画面じゃなくて、某如月博士のように三次元映像で出てくるとか、もっと洒落っ気を出して、白鳥ロボットの目を使って投影するとか……。

ああ、また現実逃避してしまった。

『怒らないでよ、兄さん。だからこそ、兄さんを鍵にすることが認められたんだから』

おい。お前やっぱりどこかから見てるだろ!
見てるんなら……姿を見せろよ、こんな録画じゃなく!

会いたいよ、俺の半身。
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