第279話 黄昏時は逢魔が時? 3

文字数 2,024文字

「じゃあ、行こうか、伝さん」

伝さんの背中で、豆狸ちゃんが香箱を組んじゃった。目をつぶって、知らぬ顔。うん、気晴らしの散歩に連れ出されたあげく、その飼い主がつまんないこと気に病んでたら、猫だってやってられないよね。

「ほら、赤萩さんも。豆狸ちゃんが呆れちゃってますよ。もうそこじゃないですか、お家」

「豆狸……」

手の中のリードを握りしめて、見捨てられたような風情の赤萩さん。

「とにかく! 怖いなら、伝さんと豆狸ちゃんの傍にいれば大丈夫ですよ。あ、車が来たら後ろに避けてくださいね」

そう言いながら、俺は伝さんのリードを軽く引いた。心得たように歩き出す伝さんを褒めつつ、ちらりと斜め後ろを振り返ってみると、伝さんの背中に乗った豆狸ちゃんのリードを握ってる赤萩さんがドナドナされてるみたいで、ちょっと面白い。

ちゃっちゃっちゃっと伝さんがアスファルトを蹴る爪の音に、俺と赤萩さんのパタパタした靴の音が絡む。

ああ、西の空も完全に暗くなって、一番星に二番星。伝さんを飼い主の吉井さんちまで送っていったら、今日はもう後の依頼はない。晩飯は何にしようかなぁ、と思いながら見えてきた赤萩さんのマンション、その明るいエントランスに向かっていると、道沿いの塀と塀の間の狭い隙間のところに、手向け花らしきものが置いてあるのに気づいた。

闇に浮かび上がる、白い花のブーケ。

……こんなところで、事故があったっけ?

首を傾げながら、ふと道の反対側に目をやると、あっちにも同じような花束が置いてあるのが見えた。その奥に続く、こちら側よりは大きいけど路地ともいえない隙間。ところどころにある街灯の明かりも届かず、真っ暗だ。

両方とも、子供ならなんとか潜り抜けられそうだけど……。こういうのもある意味四つ辻かなぁ、なんて考えたのがいけなかったのかもしれない。

むわりと、生温い風が湧き出してきた。こちら側の手向け花の向こう、塀と塀の隙間の暗闇から。

「……!」

その瞬間、豆狸ちゃんが毛を逆立て、伝さんが咆哮した。


フシャアアア!
オオオン!


驚いた赤萩さんが、ひっ! と息を呑む。

反対側の路地未満からも、何かが様子をうかがっているような気配がする。ドライアイスのようにゆらゆらと、地に揺蕩う何か。

──ここ、普通の一本道なのに。何か(・・)が無理やり四つ辻にしようとしてる……? 

混乱する頭に、そんな考えが浮かぶ。異界が、向こうからこの世界に繋がろうと、触手を伸ばして……。


シャアアアア! シュフゥゥゥゥ!
オオン! オオン! オオオオオオオオォォォーオオオー!


逆立った毛で、いつもより一回り大きく膨らんだような豆狸ちゃんが、こちら側の隙間に向かって飛び掛かる寸前になり、あちら側の路地未満を睨んでいた伝さんが、その奥の闇に向かってひときわ太く力強く吠えたとき。

何かの気配は、断ち切られたように消滅した。

「……」

知らない間に詰めていた息を、俺は大きく吐き出した。ちょっと空気が薄くなったような気がして、くらっとしたけど、すぐに持ち直した。

「ちょ、豆狸、どうしたんだよ」

赤萩さんは、と後ろを見てみると、慌てたように豆狸ちゃんをなだめようとしてる。そう問われたほうは素知らぬ顔で伝さんの背中に座り直し、しきりに毛繕いをしていた。

「一体何が……こいつがこんなに興奮? っていうか、攻撃的になったの初めてです」

困惑したように、赤萩さんは言う。──え? 今の異状に、この人気づいてなかったのか?

「伝さんも。いつも穏やか紳士なのにどうしたんだ?」

ハッハッハ、とこちらはもういつも通りに戻ってる伝さん、出していた大きな舌で、屈んでいた赤萩さんの顔をべろりと舐めた。

「うひゃっ!」

俺は思わず笑ってしまった。

「いつだって自分は紳士だって、伝さんは言ってますよ。──今のはきっと、どっかで空き巣の気配でもしたんじゃないかなぁ」

「え、空き巣?!

「豆狸ちゃんも、きっと何かの気配(・・・・・・)に敏いんでしょうね。二匹とももう元に戻ってるから、空き巣がいたにしろ、さっきの彼らのド迫力に恐れをなしてもう逃げてしまったんでしょうよ」

仮に刃物を持った異常者がこの辺を徘徊していたとしても、さっきの豆狸ちゃんと伝さんの本気の威嚇を目の当たりにしたら、正気に戻るしかないだろう、と俺は思う。

「そっか……。こそこそした犯罪者は、犬に吠えられるのを嫌うっていいますもんね」

豆狸と伝さんは犯罪を未然に防いだのかー、偉いぞ! と言いながら、赤萩さんは伝さんと豆狸ちゃん、を撫でようとして、豆狸ちゃんにツンと避けられてた。伝さんは温和しく撫でられている。

「豆狸、冷たい。伝さんはやさしいのに」

そんな恨みごとをもらしながらも、赤萩さんは笑っている。さっきの二匹の迫力に、彼の漠然とした不安も吹っ飛ばされたようだ。

「おうん?」

「お、豆狸ちゃんが伝さんを毛繕いしてくれてる」

赤萩さんが伝さんを撫でる手を真似るように、じゃーりじゃーりと頭の毛を繕っている。面積が広いから大変そうだ。
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