第6話 双子の兄弟
文字数 2,971文字
行方不明の双子の兄弟。
五年前に兄が失踪し、今度は弟が姿を消した。その弟の友人は、弟と彼そっくりの人間が話しているのを見たという。
「それ、いつの話?」
俺は小平に訊ねた。眉間に皺を寄せて彼はうーんと唸った。
「たしか、五月の……連休後のことだったと思う。いや、もっと後だったかな。卒業したバンドの先輩がクラブハウスに来てくれたときだから、五月の半ばは過ぎてたはずだ」
「その店の名前は覚えてない?」
「うーん、悪い。そこまでは覚えてない。俺、けっこう酔ってたし」
「その時のメンバーで、誰か覚えてそうな人は?」
「みんな飲んでたから、どうだろう」
小平は困ったように言った。
「場所は覚えてないかな。だいたいでもいいから」
「場所かぁ、場所なぁ……」
小平は考え込んでいたが、ぱっと明るい表情になった。
「観覧車が見えてた。この辺りで観覧車が見える場所っていうと限られるよな?」
「観覧車か……」
俺は唸った。繁華街で、且つ、観覧車が見える場所、というと確かに限られてくる。だが、やはり範囲は広い。
「あ、ちょっと待って。店の名前、分かるかも」
小平はスマホを取り出し、掲示板の隅の方に移動した。コールしてすぐ相手が出たらしく、何やら親しげに話している。俺は期待をこめてその様子を見つめていた。
数分後、通話を終えた小平が戻ってきた。
「分かったよ、店の名前」
「それは助かる!」
俺は言った。心からの言葉だった。
「先輩に聞いてみたんだ。先輩、会社はフレックス制だって言ってたから、もしかしたらまだ家かもと思ってスマホ鳴らしてみた。したら、朝メシ喰ってちょうど出るところだったって。運が良かったよ」
「で、その店の名前は?」
「<サンフィッシュ>だって」
偶然だね、と小平はマンボウ・ピアスを見てちょっと笑った。
「その先輩、すぐ酔うけど醒めるのも早いから、最後に入った店だったら覚えてるかもしれないと思って。正解だったな」
「ありがとう。助かったよ。重要な手がかりになるかもしれない」
俺の感謝に、小平は首を振ってみせた。
「俺だって、ダチが行方不明って聞いたら心配になるよ。休止中とはいえ、バンドにも助っ人してもらってたし。あの時、高山に聞いておけば良かったな。でも俺酔ってたし、あんたに聞かれるまで高山のそっくりさんのことなんか忘れてたよ……」
小平は残念そうに目を伏せた。泥酔していて、半分夢みたいな感じだったし、と呟く。俺は必ず葵を探し出すと約束し、小平にも連絡先を書いた名刺を渡した。
「それじゃ、何かあったらそれに連絡してくれるかな。ホント、ありがとうね。ありがとうついでに、今日、太田君て来てる? 酒井田君から聞いた名前なんだけど。太田君も高山君と親しいんだよね?」
「ああ。でも、太田は今日は来ないんじゃないかな。あいつの取ってる講義、休講になってたし」
「そっか。太田君にも高山君のこと、聞いてくれるとうれしいな」
「わかった。何か新しいことがわかったらここに連絡するよ」
小平は俺の名刺をひらひらと振ってみせた。
「そうそう、先輩が言うにはその<サンフィッシュ>って店、外側のウィンドウディスプレイに観覧車の形をしたフォトフレーム飾ってるから、すぐに分かるってさ」
「わかった。その先輩にもよろしく言っといてくれる? 頼むよ」
俺たちは手を振って別れた。
小平のひょろ長い背中が遠ざかるのを見ながら、俺は考えていた。高山葵が彼にそっくりな人間と会っていたという話を、あの<笑い仮面>に報告するべきだろうか?
俺は悩んだ。まだ話すべきではないような気がした。
暑い。
俺は今、自分の事務所にいる。小平が高山葵とそのそっくりさんを見たという店、<サンフィッシュ>が開くまで、まだまだ時間があるので、一旦戻ってきたのだ。エアコンの調子がおかしく、あまり冷えない。というか、吹き出し口の風がぬるいような気がする。
掌の上に、寝室からもってきた水色の石のマンボウ・ピアスと、高山から預かった赤い石のマンボウ・ピアス。元々が一個単品だったのか、それともペア売りだったのか知らないが、ペアなら石の色は同じはずだ。
この似ているけれど別物のピアスは、双子に似ている。そんなふうに俺は思った。外側がどれほどそっくりでも、中身は別人だ。
俺と弟。
葵とその兄。
ああ、ののか。お父さんは困ったよ。ここにあるのが赤い石のマンボウだけなら良かったのに。これは出どころがはっきりしているし、お父さんには関係がない。だけど、水色の石のマンボウは、関係が無いと、自信を持ってお父さんは言えないんだ。あの晩、何があったんだろう。それが思い出せさえすれば──。
寝室の開いたドアから、娘のくれたクマさんのぬいぐるみが見える。その黒くて丸い目に、思わず俺は心の中で語りかけてしまった。
それにしても暑い。このコンクリートのボロビルごと、太陽で焼かれているようだ。蒸し焼きになりそう。新しいエアコンが欲しい。いや、エアコンは無理だ。せめて扇風機を買うか。
そういえば、俺にこのビルを貸してくれてる友人宅の広いリビングに、変わった形の扇風機があった。サーキュレーターとか言ってたが、冬に部屋の隅にほっぽってたくらいだからいらないんだろう。頼んだらくれないだろうか。
──あんまり暑いとろくなことを考えない。窓を開けたらヒートアイランドな熱風が入ってくるし、しょうがない、冷たい水でも飲むか。俺は拾った冷蔵庫から、これだけは自前で買った浄水ポットを取り出した。
水道水をこのポットに入れておくだけで、塩素やトリハロメタンなどの有害物質が除去されるという。水道管の老朽化が言われている昨今、毎日ペットボトル入りの水を買うのはもったいないし、その余裕もない。一時的にポット代はいるが、後はたまにフィルターを換えるだけだ。長い目で見れば安くつく。水くらい、安心して飲みたい。
「はー……」
俺は思わず息をついた。冷たい水が喉を通って、身体全体を冷やしてくれるような心地がする。
二つのマンボウの謎(と命名しておこう)については、ここでこうして考えていても答は出ない。単なる偶然である可能性のほうが高いのだし。
この二つを繋ぐものがあるとすれば、それは……。
俺か?
こいつらを今手元に置いているのは、俺だ。高山から息子の行方探しを頼まれたのが別の人間なら、この二つが揃うことはなかったはずだ。そう思い当たって、俺はぞっとした。さっきまで暑かったのに、なんだか冷える。寒い。いや、暑いのか寒いのかわからない。
と、俺は飛び上がりそうになった。いきなり携帯が鳴ったのだ。震える手で、俺は通話ボタンを押した。
「もしもし?」
相手は何も言わない。電波の状態が悪いのか?
「もしもし?」
再度の問いかけ。ようやく聞こえた声に、俺は凍りついた。
『──夏至のあの日、芙蓉を殺したのは、お前か?』
そういえば、○月×日、あすかを殺したのはお前か! と悪人に問い質してまわるヒーローがいたなぁ、と俺は麻痺した頭のどこかで思った……。