第198話 柏餅をヤケ食いする

文字数 2,169文字

・四月二十五日 何故その名を知っている?・

急遽、引越しの手伝いを頼まれ、大きなものから小さなものまで、怒涛のように梱包しまくった。

「明日は粗大ゴミの日なので、残りのものは捨てておいてください」と、依頼主の男性は手数料を弾み、慌しく去っていったが……。

あの~、もしかして、これって。

……ごく一部で有名な、<伊集○ 健>さんでは? 
お、俺が捨てるのか? 何かの罰ゲームか? それよりも男性タイプであることに驚くべきなんだろうか。

他人の趣味に口出すつもりは無いが、愛用、いや、愛玩していたなら、せめて自分の手で葬って(?)やって欲しかったと思うんだが……。

いや、もしかしたらあまりにも慌しすぎて<彼>の存在を忘れてしまったのかもしれない。携帯に連絡入れてみよう。だけど、何て切り出せばいいかな? う~ん……。





・四月二十九日 温暖蚊?・

脱走ペット、フェレットのレッティくんを探して公園の池の周りを徘徊(?)していたら。

蚊に食われた。

今頃、蚊? ……地球の温暖化を体感した日だった。

ちなみに、レッティくんは草むらに落ちていた裏起毛の靴下に、すっぽり潜り込んで爆睡していた。早く小山田さんちに連れて行こう。飼い主の幸太くん、レッティくんのことを心配して、涙の滲む目が真っ赤だった。無事な姿を見たら、喜ぶだろうな。こういう時は、脱走ペット探しの得意な何でも屋で良かったと思う。

ふう。労働の後の緑は、ことさら爽やかだぜ。

……痒い。





・五月一日 ヒゲ・

ついに五月。

風薫る、と呼ばれる季節だが、今日は午後からムシムシして暑かった。木々の緑だけが鮮やかに、より濃くなっていく。

……このあいだから伸ばしてちょっと濃くなっていた髭は、出先で偶然たまたま少しだけ顔を見ることのできた娘のののかには、とても不評だった。

剃ろう……。





・五月二日 こむら返り・

今朝、携帯の目覚ましが鳴るや鳴らずの頃。いきなり脹脛(ふくらはぎ)に激痛が走った。

こむら返りだ。

苦苦苦! と耐えること、数十秒。ようやく治まったが、痛いの何の。よく言われる、親指を甲側に反らせて、なんてやっても、全然効きゃしない。

昨日、顔なじみのチンピラ、シンジに泣きつかれ、奴の草野球チームに助っ人に入ったが、そのせいだろうか。……あんなに走ったの、久しぶりだもんな。

うー、身体のあちこちがみしみしいってる。こむら返りの名残りでまだ脹脛が痛いし、俺ももうトシだな……。





・五月三日 筋肉痛・

筋肉痛が、昨日より酷い。
……やっぱりトシだな。

今日はグレートデンの伝さんの朝の散歩を請け負ったんだが、力強く歩く伝さんのリードを握るのが、ちょっとキツかった。良く訓練された伝さんは、もちろん俺を引っ張って歩くなんてことはしなかったけど、もう少し早く歩きたかっただろうな。

ごめんよ、伝さん。明日にはマシになってるはずだから。明日には、きっと……。





・五月五日 柏餅をヤケ食いする・

今日は子供の日。そして、待ちに待った娘との面会日。
出先で慌ただしくすれ違うのと違うもんね!

それなのに。ああ、それなのに、それなのに。
何で俺は独りでかしわ餅をヤケ食いしてるんだよ……!


「ののか、風邪引いちゃったのよ」


元妻の、申しわけなさそうな電話の声を思い出す。

「今日も、絶対パパのとこ行くって言ってんだけど……熱があって……」

ここ数日、夏日かと思えば翌日は肌寒かったりと、寒暖の差の激しい日が続いている。娘のののかはそれに負けてしまったらしい。

「風邪引くと、必ず高熱を出すところ。あなたと体質が似てるみたいね」

元妻は溜息をつく。
そんなとこ、似なくていいのに。俺はしばらく無言になってしまった。別に、彼女が俺を責めてるわけじゃないってのは分かってるけれど。

気を取り直し、大丈夫なのかと訊ねると、元妻は答えた。

「初めは四十度近い熱が出てたんだけど、今は三十八度よ。さっき、水蜜桃入りヨーグルトを食べさせて、それから薬をのませたから、次に目を覚ましたらもっと下がってると思うわ」

水蜜桃入りヨーグルトは、あなたの風邪引きの時の定番だったわね、と彼女は少し笑った。

面会日、来週の日曜に延ばすわね、と彼女は言ったけれど、その日は母の日じゃないか。

「そんなこと、気にしなくていいわよ」

くすり、と息を漏らし、彼女は続けた。

「やせ我慢はダメよ。ののかだってあなたに会いたいんだから」

うー。

そんなわけで俺は、ののかのために買ったはずのかしわ餅をガツガツと喰らっている。昼飯代わりに。

近所の和菓子屋、戎橋心斎堂のかしわ餅は美味い。中の漉し餡の絶妙な甘さといい、もちもちした食感といい、最高だ。

だけど、さすがに十個も食べたら胸焼けが……。
濃いぃお茶を飲みたいところだけど、飲んだら腹の中でよけい膨れそうな気がする。

……熱で苦しむ娘に何もしてやれないなんて、俺って何て不甲斐ない父親なんだろう。

はぁ。

来週会えなくてもいいから、早く良くなってくれよ、ののか。パパはお前が元気で笑っていてくれるのが一番うれしいんだ。
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