第278話 黄昏時は逢魔が時? 2
文字数 2,009文字
ふわっと風が吹いて、汗ばんだ肌から少しだけ熱が引く。ああ、すっかり暗くなってしまったな、西の空には一部まだ明るいところがあるというのに。不思議なもんだ。
「何でも屋さん……」
うっかりぼーっとしてたけど、赤萩さんの硬い声に我に返る。
「え?」
「逢魔が時って、お化けの出やすい時間帯のことですよね」
「はぁ……」
お化けって、と思うけど、まあそういう意味だよね。
「何でも屋さんは、本当に何でも屋さんですか……?」
「へ?」
「だって……暗くて顔は見えないし……。何でも屋さんのふりをしたお化けと、俺は今一緒にいるのかも……」
さっきまでの和やかな雰囲気が霧散して、不穏なことを語るシルエット。夜に覆われて、顔の見えない赤萩さん──。
ぞっとする前に、豆狸ちゃが呑気な声でにゃーと鳴く。
「……もう! 赤萩さん、またホラーな映画でも見たんですか?」
影響されやすいんだ、このヒト。わりと思い込みも激しいし。
「怖い映画じゃないけど……この日曜日に小泉八雲の『怪談』を……」
読んじゃったのか。怖いの苦手っぽいのに、またストレートなものを……。いや、まあ、俺も苦手なんだけど、だからこそ知っているともいう。
「あー、あれですね、『むじな』とか入ってるやつ。のっぺらぼうの」
影の肩がびくっと震えて、豆狸ちゃんが迷惑そうに座りなおすのが動きで分かった。意地でも降りないんだな……まあ、伝さんがかまいたそうだしなぁ。
「中学のときだったかな、英語の時間、先生の趣味であれの英文を覚えさせられたのを思い出しましたよ……のっぺらぼうとか昼間は全然怖くないけど、寂しい夜道で思い出したら怖いですよね」
一人夜道を歩いていて、のっぺらぼうに驚かされて逃げた先で、また別ののっぺらぼうに出会って気絶する話だったよな、確か。
「こんな街中に、貉とか狸とかいませんて、赤萩さん。平家の怨霊とかも」
「……!」
うん、同じく有名な『耳なし芳一』も怖いよね。でも、俺も赤萩さんも琵琶の弾き語りとかしないしさ。
「キメラとかベヒモス? とかは怖くないのに、なんでムジナは怖いんですか」
「いや、ああいうのは全然現実感がないけど、そっち系はなんか身近だし……」
ぼそぼそと言う赤萩さんに、ほら、向こうに街灯ありますよ、と促して、また二人と二匹で歩き出す──豆狸ちゃんは飼い主の肩に乗ったままだけど。
「まあねぇ、昔話ではしょっちゅう狐や狸、ムジナに化かされてますよね」
……俺もいつかは妙なものに化かされて、目的地になかなかたどり着けなかったことあるけどさ。普通はナイナイ。
「でしょう? だから、つい……」
「変なところでノリがいいですね、赤萩さんは──あ、後ろから、車!」
今度の車のヘッドライトは、さっきほどじゃないけど、周りが暗くなったせいかやっぱり眩しい。狭い十字路を曲がっていくついでに、思いっきりこちらを照らしてくれた。動くライトに連れて、俺たちの影が動く──。
「……」
「……」
遠くからぼんやり届く街灯の明かりで、お互いの顔を見合わせる。赤萩さんの顔が引きつってる。俺の顔面も同じように引きつってるかもしれない。
「何でも屋さん……今、俺たちの影が動物みたいに走っていきませんでしたか?」
「……」
見えた。なんか三匹くらい逃げていったような気がした。イメージ的に、狐に狸、それと……。
──ここは四つ辻、異界に重なる場所──
どっかの古道具屋さんから聞いた知識が頭に浮かぶ……いやいやいや、違うって!
「錯覚ですよ、錯覚。枯れ尾花的な。この場合、枯れ尾花は俺たちです。自分の影に怯えてちゃダメですよ」
それこそムジナにからかわれるかもですよ、と言うと、変なこと言わないでくださよ、と赤萩さんが情けない顔をする。
「怖い怖いと思うから、何でも怖く見えるんです──。まあ、あれですよ! 伝さんも豆狸ちゃんもいるんだから大丈夫! 犬には退魔の力があるというし、猫も魔を避けてくれるっていいますよ。なあ、伝さん!」
滑らかな被毛に覆われた伝さんのでっかい頭をぐりぐり撫でると、そうだぜ相棒、俺様がまとめて護ってやるぜ、とばかりに、おうんうん、と短く答えて赤萩さんの半袖の腕をべろりと舐めた。
「うひゃあ!」
驚いた赤萩さんが軽く飛び上がる。さすがに落っこちそうになったのか、豆狸ちゃんが飼い主の肩から、何故か伝さんの背中に飛び乗った。さすが猫、首輪に繋がるリードの範囲内で、身軽く立ち回るものだ。
「にゃー」
一声鳴いて、そこに座り込む豆狸ちゃん。伝さんが彼女を舐めたそうに首を回すけど、もちろん自分の背中には届かない。すぐあきらめて、散歩の続きはしないのか、とでも言うように俺の顔を見上げる。
「おふん?」
薄っすら届く明かりの下で、首を傾げる伝さん。地獄の番犬のようにいかつくでかいけど、気はやさしい──。
俺は思わず笑ってしまった。変に怖がったって、これが現実さ。何も怖くないものを怖がる気持ちが、変に自分を追い詰めるんだ。
「何でも屋さん……」
うっかりぼーっとしてたけど、赤萩さんの硬い声に我に返る。
「え?」
「逢魔が時って、お化けの出やすい時間帯のことですよね」
「はぁ……」
お化けって、と思うけど、まあそういう意味だよね。
「何でも屋さんは、本当に何でも屋さんですか……?」
「へ?」
「だって……暗くて顔は見えないし……。何でも屋さんのふりをしたお化けと、俺は今一緒にいるのかも……」
さっきまでの和やかな雰囲気が霧散して、不穏なことを語るシルエット。夜に覆われて、顔の見えない赤萩さん──。
ぞっとする前に、豆狸ちゃが呑気な声でにゃーと鳴く。
「……もう! 赤萩さん、またホラーな映画でも見たんですか?」
影響されやすいんだ、このヒト。わりと思い込みも激しいし。
「怖い映画じゃないけど……この日曜日に小泉八雲の『怪談』を……」
読んじゃったのか。怖いの苦手っぽいのに、またストレートなものを……。いや、まあ、俺も苦手なんだけど、だからこそ知っているともいう。
「あー、あれですね、『むじな』とか入ってるやつ。のっぺらぼうの」
影の肩がびくっと震えて、豆狸ちゃんが迷惑そうに座りなおすのが動きで分かった。意地でも降りないんだな……まあ、伝さんがかまいたそうだしなぁ。
「中学のときだったかな、英語の時間、先生の趣味であれの英文を覚えさせられたのを思い出しましたよ……のっぺらぼうとか昼間は全然怖くないけど、寂しい夜道で思い出したら怖いですよね」
一人夜道を歩いていて、のっぺらぼうに驚かされて逃げた先で、また別ののっぺらぼうに出会って気絶する話だったよな、確か。
「こんな街中に、貉とか狸とかいませんて、赤萩さん。平家の怨霊とかも」
「……!」
うん、同じく有名な『耳なし芳一』も怖いよね。でも、俺も赤萩さんも琵琶の弾き語りとかしないしさ。
「キメラとかベヒモス? とかは怖くないのに、なんでムジナは怖いんですか」
「いや、ああいうのは全然現実感がないけど、そっち系はなんか身近だし……」
ぼそぼそと言う赤萩さんに、ほら、向こうに街灯ありますよ、と促して、また二人と二匹で歩き出す──豆狸ちゃんは飼い主の肩に乗ったままだけど。
「まあねぇ、昔話ではしょっちゅう狐や狸、ムジナに化かされてますよね」
……俺もいつかは妙なものに化かされて、目的地になかなかたどり着けなかったことあるけどさ。普通はナイナイ。
「でしょう? だから、つい……」
「変なところでノリがいいですね、赤萩さんは──あ、後ろから、車!」
今度の車のヘッドライトは、さっきほどじゃないけど、周りが暗くなったせいかやっぱり眩しい。狭い十字路を曲がっていくついでに、思いっきりこちらを照らしてくれた。動くライトに連れて、俺たちの影が動く──。
「……」
「……」
遠くからぼんやり届く街灯の明かりで、お互いの顔を見合わせる。赤萩さんの顔が引きつってる。俺の顔面も同じように引きつってるかもしれない。
「何でも屋さん……今、俺たちの影が動物みたいに走っていきませんでしたか?」
「……」
見えた。なんか三匹くらい逃げていったような気がした。イメージ的に、狐に狸、それと……。
──ここは四つ辻、異界に重なる場所──
どっかの古道具屋さんから聞いた知識が頭に浮かぶ……いやいやいや、違うって!
「錯覚ですよ、錯覚。枯れ尾花的な。この場合、枯れ尾花は俺たちです。自分の影に怯えてちゃダメですよ」
それこそムジナにからかわれるかもですよ、と言うと、変なこと言わないでくださよ、と赤萩さんが情けない顔をする。
「怖い怖いと思うから、何でも怖く見えるんです──。まあ、あれですよ! 伝さんも豆狸ちゃんもいるんだから大丈夫! 犬には退魔の力があるというし、猫も魔を避けてくれるっていいますよ。なあ、伝さん!」
滑らかな被毛に覆われた伝さんのでっかい頭をぐりぐり撫でると、そうだぜ相棒、俺様がまとめて護ってやるぜ、とばかりに、おうんうん、と短く答えて赤萩さんの半袖の腕をべろりと舐めた。
「うひゃあ!」
驚いた赤萩さんが軽く飛び上がる。さすがに落っこちそうになったのか、豆狸ちゃんが飼い主の肩から、何故か伝さんの背中に飛び乗った。さすが猫、首輪に繋がるリードの範囲内で、身軽く立ち回るものだ。
「にゃー」
一声鳴いて、そこに座り込む豆狸ちゃん。伝さんが彼女を舐めたそうに首を回すけど、もちろん自分の背中には届かない。すぐあきらめて、散歩の続きはしないのか、とでも言うように俺の顔を見上げる。
「おふん?」
薄っすら届く明かりの下で、首を傾げる伝さん。地獄の番犬のようにいかつくでかいけど、気はやさしい──。
俺は思わず笑ってしまった。変に怖がったって、これが現実さ。何も怖くないものを怖がる気持ちが、変に自分を追い詰めるんだ。