第46話 王子様とシンデレラ?

文字数 3,503文字


くすっ。

様々な思いが脳裡を駆け抜け、俺は一瞬意識をフリーズさせていたようだ。智晴の小さな笑いで我に返ったら、奴はまだくすくす笑いを続けていやがる。俺はムカついた。

「何笑ってるんだよ?」

俺の怒った顔を、智晴は面白そうに見ている。

「今、あなた怖いこと考えてたでしょう? そうですね、たとえば僕が誰かの手先で、それでこの子を攫おうとしたとか?」

「な、何で分かるんだっ! てゆーか、……違うのか?」

俺は慌てた。そんなに分かりやすいのか?

「違いますよ」

失礼にも、智晴はわざとらしく大きな溜息をついてみせた。

「あのね、僕はあなたたちを助けるためにこの子を抱えて走ったんですよ。全員あのまま連れ去られるところだったのに、全然気づいてないんですね」

えっ──? 驚きすぎて声も出ない。ただ口をぱくぱくさせながら、夏樹を抱えた手に無意識に力をこめる。智晴はまた息をつき、少し苛ついたように自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。

「あのタクシー、偽物ですよ。あのまま乗ってたら、今頃はどこに連れて行かれていたやら」

偽物のタクシー? あれが? そんなにタイミング良く?

レストランフロアで見た、貼りつき笑顔がフラッシュバックする。
<笑い仮面>……?

「ふ、芙蓉と葵は?」

後に残してきたあの双子はどうなった?

呟いた自分の声が震えていて、それでよけいに怖くなった。まさか、彼らはあのまま……?

立ち竦む俺の耳に、聞きなれない曲が聞こえてきた。胸に抱えた夏樹の、かわいいポシェットの中。俺のガラケーだ。

今穿いているスカートに、申しわけ程度についていたポケットにそれをねじ込んでいたら、芙蓉に「シルエットが台無し!」と却下されたんだ。で、仕方なくこの子に持たせることにしたのだった。

俺は夏樹を地面に下ろし、たすき掛けになっていたポシェットから携帯を取り出した。──下ろされた夏樹はまた俺のスカートの裾を掴んでいる。子供ごころに不安なんだろう。かわいそうに……。

聞きなれない曲が鳴るという時点で、<風見鶏>からの着信であると分かった。やつが他人の携帯着信音をどうやっていじっているのか、謎だ。

「『野生のエルザ』ですね、その曲」

智晴が言った。何じゃそりゃ? あー、そういえば古い映画で見たことがあるような……智晴の目が微妙に笑っているのは何故だろう。訝しみながら俺は携帯を確認した。やはり<風見鶏>からで、短いメールが来ていた。

『双子は無事だ。彼について行けば合流できる。足は大丈夫か?』

ん? 足?

「いってぇ~~~!!」

俺はその場に座り込みそうになった。そういえば、俺は裸足だったんだ。裸足で走る姿が『野生のエルザ』ってか? born free ~♪ って、大塚のボンカレーの方がいいわい!

「ママ、あんよが痛いの……? ちがでてるよ……」

しゃがんで俺の足を見た夏樹が泣き出した。小さな手で一生懸命に汚れた足をさすりながら、ひっくひっくとしゃくりあげる。

「い、いや、痛くなんかないぞ、うん。そんなの全然痛くない!」

痛くないったら、痛くない! 子供を泣かせるくらいなら、ぜんぜんちっとも痛くないんだ!

「ま、あれだけの距離を走ればね。なるべく平らでゴミの落ちていないルートを選んだつもりだけど……」

少しくらいの怪我は当然でしょうね、と智晴は肩をすくめた。ムムムッ。お前のせいで、と言いかけたが、偽タクシーだったらしいあの車から全員を短時間で降ろすには、警告の言葉より何より、子供の夏樹を攫ってみせるのが一番効果的だったのは確かだ。

そういえば、あの時夢中でドアを蹴り開けたんだっけ。思い出すとよけい足が痛んだ。特に踵がズキズキする。痛い……。

「さあ、そこに車を置いてますから、行きましょう」

「……お前、何をしてるんだ智晴?」

智晴は膝をつき、俺に背中を向けている。

「何って、歩けないでしょ? 怪我って、気づいちゃうと急に痛くなるんですよね」

顔だけ振り返った智晴は、こともなげに言う。
げっ。お前におぶされってか?

「あ、歩けるわい!」

いいトシをして、たかがこれくらいでおんぶなんかされてたまるか!

「え? お姫様だっこの方がいいんですか?」

ののかちゃんならともかく、あなたをお姫様だっこするのはちょっとキツいかなぁ、などと智晴は呟いている。

「どっちもいらん!」

言い捨てて、智晴の示した車の方に歩こうとした俺は、つい呻きを洩らしてしまった。痛い。と、その瞬間、小さな身体が膝に抱きついてきて、俺をその場に押し留めた。

「だめ! ちが出てるの。痛いの。歩いちゃだめ!」

涙目の必死な顔。ぽろりぽろりと新しい涙がこぼれ落ちる。そんな目でじっと見つめられ、俺は抵抗できなくなった。

「ほら、大人が子供に心配させちゃダメでしょ?」

素直になりなさいよ、と智晴が言う。俺は痛みとはまた別の理由で唸ったが、全身で無垢な心配をぶつけてくる夏樹の目を見ると、何も言い返せない。子供の瞳に負け、俺はしぶしぶ智晴の背中におぶさることにした。

今だけは、こんな格好をしていて良かったと思うことにする。誰か知り合いに見られたって、これが俺だってことはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さんだ。粋な黒塀も見越しの松も見当たらないが、味もそっけもない真っ黒なBMWはそこにある。覚悟を決めて、俺は智晴の背中におぶさった。

「夏樹くん、ちゃんとついてくるんだよ? このおじさんのベルトにつかまりなさい。つかまったかい?」

「うん!」

まだ涙声だが、元気な返事が聞こえる。俺は思わず微笑んだ。

「あの車まで行くからね? ベルト、絶対に離しちゃダメだよ。──やい、智晴。この子と俺をちゃんと連れていけよ、分かったな?」

「はいはい」

投げやりに答えながら、智晴は軽々と俺を背負って歩き出した。姉さんより女王様だな~、などという呟きは無視した。

車に着くと、智晴は俺を背負ったまま器用にドアを開け、夏樹を先に後部座席に乗り込ませた。と、子供のうれしそうな声があがる。智晴の肩越しに見てみると、先ほどまでいたホテルの部屋に置いてきたはずの、夏樹が「はんぺん」と名づけた大きな犬のぬいぐるみが、シートにくたりと座っていた。

逃げるのに荷物になるから、「また後から迎えに来てあげようね」と一応は納得させてあったが、その辺り、子供なりに我慢していたようだ。うれしそうにぬいぐるみを抱きしめる夏樹に、俺の顔もほころんだ。

「義兄さんは、ちょっと足だけ外に出してください」

俺をシートに座らせた智晴は、さっき自動販売機で買ったというミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。何をするのかと思っていたら、器用な手つきで俺の足の裏をそれで洗い流す。

「応急処置です。ちゃんとした手当ては後で。今はとりあえず汚れだけ落としておきます」

仕上げに、きれいなハンカチで丁寧に水気をぬぐってくれるまでしてくれたので、俺はもごもごと礼を言った。

「あ、りがと……」

そっぽを向きながら、ぼそりと声を押し出す。こうやって落ち着くと、よけいに足の裏全体にズキズキとした痛みを感じるが、きれいな水で洗ってもらったことにより、すっきりしたのはありがたい。

「ガラスの靴があれば、シンデレラですね」

「誰がシンデレラだ!」

人がせっかく素直に礼を言ったのに、智晴はやっぱりからかうような軽口を叩く。んっとに、何がシンデレラだ、オリジナリティの無い。せめて長靴をはいた猫くらい言いやがれ!

「長靴をはいた猫、ですか」

俺の抗議に、運転席に座ってイグニッション・キーを回しながら智晴は笑う。

「どちらかというと、熱いトタン屋根の猫、じゃないですか? だって、無理したら飛び跳ねちゃうくらい痛いでしょう?」

俺はシート越しに元義弟を睨んだ。ああ言えばこう言う。智晴……お前、絶対面白がってるな。

だいたい、どうしてそんなに古い映画ばっかり知ってるんだ。俺もだけど。

「ママは猫じゃないもん」

ぬいぐるみを抱えた夏樹が、唐突に言った。不満そうに唇を尖らせている。

「ママはシンデレラだもん」

「ど、どうしてシンデレラなのかな……?」

恐る恐る聞いてみると、夏樹はにこっと天使のように微笑んだ。

「きれいだから」

聞かなければ良かった……。
俺は、窓の向こうを流れていく景色をどんよりとした気分で見やった。
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